月寒の少年

星野哲郎さんが昭和35年につきさっぷを通った時に作曲したという「つきさっぷの少年」という歌、作曲は船村徹さんでコロンビアレコードから発売された歌を、今、病気で療養中の義兄が月寒の歌として復活させようと努力した結果、「月寒の少年」市民会議という名称で、平成7年から始まったイベント。
かってそのいきさつを義兄から聞いていた私にとって、このイベントに一出演者として参加出来るのは、嬉しい事だった。しかも、亡き三味線の師匠がその主役をつとめるはずだった。
師匠の代わりに、2人の若手三味線弾きが活躍、孫娘もジョンガラの一節を弾かせてもらい、喝采を浴び、我々グループもかなり気合を入れて弾かせてもらった。
歌手の袴田ゆきえさんは、師匠と組むはずだったけど、悲しみを堪え、素晴らしい歌を聴かせてくれた。
新国さんのギター、林成道さんの尺八、工藤さんのピアノ、すべてが素晴らしかった。異色のこの組み合わせは大成功だった。亡き師匠もきっと喜んであちらの世界から応援してくれたことと思う。
昨日蓬ほうは、2時過ぎまで大入りだったので、大急ぎで用意をして公民館へ。何故か朝から緊張していた私。知り合いが多い地元での演奏、病気の兄が係わったイベント、亡き師匠の残した仕事、等色々緊張する事が重なった。「へーえ、あんたでも緊張するの?」なんて失礼な事言った人いるけど、そりゃあ、何度舞台にたっても、緊張はするよ。
先日の日高シシャモ祭りのときなんぞ、3000人もの前で、圧倒されそうになりながら、でも師匠の名を汚せぬという思いと、師匠の突然の死去へのショックとで緊張を通り越した、なんだか自分でもよくわからない気持ちだった。
涙を堪え、腕がちぎれんばかりに気合を入れて、かなりの意気込みで演奏したあの舞台、10人の仲間も同じ思いで、舞台から降りたとたん、10人で号泣した。
師匠の厳しい指導があったからこそ、あの大舞台も無事に乗り越えられたと、本当に感謝でいっぱいになる。

さっきラジオカロスに息子が出演していたのを、インターネットで見た。ラジオなのに映像がみれるなんてね。
たまたま長男がきてセットしてくれたので、1時間、次男のラジオを見た。
自分の波乱万丈のこと、震災の支援活動の事などなかなか面白かった。
まさかあやつ、母が見ているなんて知らないだろう。
ラジオ番組が見れる時代なんだねえ。
明日はyっちが用事あるので、私一人で店番。
だれか遊びに来てくれないかなあ。来てくれると嬉しいなあ。