タイ

タイから来ていた高校生7人のうち、英語が出来る子が3人。
その3人がフェースブックで繋がり、毎日英語でやりとりをしている。といっても、簡単な英語。これ以上難しい会話は無理。大体英語でメールするなんてことはないから、スペルがあやふや。
一度紙に書いてから打つから、時間がかかる。さっきもハビップから何やらメールがきた。
孫のような子供達、婆ちゃんはそんなに英語堪能ではないのだよ。早く、日本語覚えておくれ。そう言いたいけど、ま、もう少し私も勉強するか。
昨日は朝から中学の卒業式に行った。受付で孫からのメッセージカードを手渡され、ちらっと見ただけでもう涙。
だめだ、読めない、って読まずに閉じた。yっちはもう泣いている。だから来たくなかったんだとか言いながら。
1年間、母親代わりをしたんだもの、無理はない。
辛い1年だったし、yっちの苦労は家族にしかわからない。見返りは求めてはいないyっちの愛情と責任感だけで乗り切った1年、でもね、それは、きっと自分の為だったってあとでわかるよ。でもでも、本当にありがとう。
3人の自分の子もいながらの受験生のお世話は、大変だった。でも無事志望校に合格したことで、もう報われたね。
私もまた、15年間の孫育て、うち3年は母親代わりだった。かなりしんどかった。でも、楽しく幸せでもあった。
だから、今はやっと肩の荷が下りたようで、ほっとしている。
これからは、婆ちゃんとしてだけの役割。
朝は卒業式で泣いて、そのあとボランティアの総会に出て、続いて音楽ボラで歌ってしゃべって笑ってと一日泣いたり笑ったりのなんとまあ、バラエティーに富んだ日だったろう。
先月カチューシャをロシア語で歌ってくれた94歳のおじ様に、又歌ってと頼んだら「忘れたかも」「どうせ、だあれもロシア語分からないから、間違っても大丈夫よ」そしたら「私は5円間ロシアに抑留されていたから、ロシア語出来る」と一人が言えば「私も樺太に住んでいたから、ロシア語で歌えるよ。ロシア人の友達に教えてもらった」
50人位の中で3人もロシア語分かる人がいたなんて!しかも、終わってから3年抑留されてロシア語の通訳までしていた94歳と5年抑留さんとで、ロシア語で会話を始めたのには驚いた!
気まぐれで言った私の一言がこんな展開になろうとは。いやはや、びっくりな一日だった。
で、今日は一日のんびりと過ごした。夕方お風呂屋さんに行くのに、初めてお外にでただけ。