乳癌

ボランティア仲間が乳癌になった。
急遽、彼女も交えて8人で女子会。ショックだったろうし、悲しくて、苦しいだろう。
でも、教えてくれて、大正解。皆が其々に、彼女にエールを送った。
私は「治るかなあ?ではなく治る!と決めるのよ。後遺症のこるかなあ?ではなくのこらない!とここで決める!笑って笑ってガン消えちゃった人もいるんだよ。おかしくなくても、笑ってるうちに、ほんとにおかしくなるからさ・・・・・」ハグして大丈夫!とエネルギー注入!
手術して、全てきという選択肢をとった彼女、決めたのなら、出来ることをして、全力を尽くそうと話した。
今から出来ること、乳製品一切を断つ!肉類を断つ!冷えと酸性の血液でガンは増殖する。
今や、人事ではなく、誰にでも起こりえること。
いくら、食べ物気をつけてても、品行方正に生きていても、なるときはなるのだ。
コンニャク湿布、里芋パスタ等等、手当法も沢山ある。手術しないで治癒した人も沢山いる。手術しても、亡くなってしまう人も沢山いる。
色んな学びをして、閃いたことに従うというのも大切なこと。
私も体験した。枇杷の温灸で治った。でも、選択は彼女の問題。
彼女にも色々な学びをして、一日も早く元気を取り戻してもらいたい。

お店を予約制にしたら、何と気が楽になったことか。
これまで、いかに縛られていたことか。
幸いなことに、店の売り上げが生活を脅かすという事もない。
甘いなあと思われようが、自分で決めること、世の中の定義に左右されることはないと決めた。
そしたら、今まで、縛られていたことから解き放たれて、色々回り出した。
「天が喜ぶことをしなさい」といわれ、何をするのだろうと思っていたけど、ここにきて、道が見えてきた。
そして、広がり始めてきた。
そうか、こういうことだったのかと思い始めている。

頼みもしないのに、友達が留守中に本2冊おいていった。
またまた・・・何?彼女の信仰の本かい?いらんぞ、と思ちゃってごめん。
何と、読みたかった本ではないか。買おうとしていた本ではないか。
何ていい奴だ。

そして、今日、幼馴染のワタコから送られてきた自筆の本。
長い電話のその先に、化学物質過敏症那須の山の中に一人暮らす、息も絶え絶えの彼女の声が聞こえる。
先の見えない苦しみの中にいる彼女には、人の話をゆっくり聞く余裕はない。
自分の苦しみと、悲しみと理不尽さと人生の不条理さを語り、聞く私は、ただただ深いため息しか出ない。何も力になってやれない。死と隣り合わせの彼女の本当の苦しみなど、私の想像をはるかに超えている筈だ。
彼女が書いた本は「アマゾンで注文できるから買って読んで。そして、感想手紙で書いて」と半ば強制的に言った。
彼女がこの世に残したかったメッセージと分かっているので、息子に頼んでアマゾンで買って、2日前届いたばかりだ。
最初の一ページ目から、進まない。待っている彼女を意識すればするほど、前に進めない。
読んで何を感じるか、それを彼女に届けたい、と自然に私が思うのなら事は易い。でも、切羽詰まった、半ば強制的にせかされて、ちょっと待って、私、自由に発信したいよ、と思う。
少し、時間をちょうだいな。でも、彼女には時間がないってどこかで分かっている。
歯抜けのおじさんの顔が、私に笑いかけている本が、今の私には必要。だって、ガンの友達と会ったばかりだもん。