ヒッチハイク

虻田の国道でヒッチハイクのお兄さんを見た。
日本一周と書いた紙、その他にも何やら沢山書いてあった。でも、走る車からなので、よく見えなかった。「函館」と書いた紙を手に持っていた。残念ながら、我々は豊浦に行くので、止めてはあげられなかった。というか、連れ合いは全く止まる気もないのかもしれない。
私は出来ることなら乗せてあげたい派だ。
若かりし頃、友達と2人で東北方面に旅行に行った。お金がないので、ヒッチハイクもしながら。親切な方にあって、数度車に乗せてもらった。大間から忘れもしない「月サむ運輸」という会社のトラックに乗ってフェリー代がただで、しかも、小樽までそのトラックに乗せてもらった。まさか、月寒にお嫁に来るとは想像もしていなかった頃。あれ以来、そのトラックを見ると、有難くて頭を下げていた。
若い綺麗な(?)姉ちゃんがヒッチハイクしても、危険と言うことはなかった時代。
そして、息子がアルバイト先の群馬からヒッチハイクのみで札幌に帰ってきたことがあった。
函館で親切に家に泊めてくれたおじさんに襲われそうになったらしいが。
そんなこんなで、ヒッチハイクしている兄ちゃんを見ると、気になって仕方がないのだ。
数年前、やはり虻田の国道で、ボストンバック持った兄ちゃんが、暗い顔して手を上げていた。たまたま、歩きで傍を通った。聞くと、インドネシアスマトラで飲食業をしている兄ちゃんで、北海道に観光に来てすぐ、札幌の有名な温泉施設でお風呂に入っている間に、ロッカーから荷物を盗まれたとか。パスポートも所持金も。警察官が同乗して、千円くれたとか。札幌から歩いたり、乗り継いだりしてやっと虻田に着いたそうだ。
そこでお節介おばさんは「紙に大きく函館って書くのさ。それと、そんな陰気くさい顔してないで、明るい顔していないとだめだよ」とアドバイスして、コンビニに行って日持ちのするようなパンやおつまみやお菓子と飲み物を買って彼にプレゼントした。現金も数千円。
彼はビックリして「必ずお返ししますから、住所と名前教えて下さい」と言ったけど「返してくれなくてもいいよ。お兄ちゃんが困った人にあったとき、親切にしてあげてね。それがお返しだからね」ほら、明るく、明るく!と励まして近所の文房具やに行って画用紙とサインペンを買って戻ると、もう彼の姿はなかった。きっと親切な人の車に載せてもらったでなあと嬉しかった。
ちょっと後悔したのは、ちゃんとインドネシアに着いたのかどうか、知りたかったなあということ。今でもインドネシアというと、名前も知らないあの兄ちゃんの事を思い出す。
帰宅して息子に話すと「紙はコンビニで段ボールもらって、サインペン借りるといいんだよ。かあさん、五千円なんてけちしないで、もっとあげればよかったのに」ヒッチハイク経験者としての貴重なご意見でした。
この前の日本一周のお兄ちゃん、真っ黒に日焼けしていい顔してたなあ。
私が手を振ったら、真っ白な歯を見せてにっこり手を振り返してくれた。ごめんね、乗せてあげられなくて。