放浪

実の父親といっても、私にとってはおじさんなのだが、そのおじの家に昔下宿していたyさんが義弟と共に現れた。おばの葬式以来だから、もう10年以上前に会ったきりだった。
yさんと義弟は元先生仲間で、何かの会合で会って私の話になり、やってきたというわけ。
思い出話に花が咲き、おじさんの話になって盛り上がった。
戦前の事、余別のニシン場の家に生まれたおじは、冒険心を捨てがたく、余別から歩いて余市まで出て、横浜まで行き、そこから船に乗ってグアムまで渡ったそうだ。
サイパンテニアン、ヤップなどの南洋の島々を転々とし、ヤップでは土人の娘と一緒に暮らし土人の中に溶け込んで暮らしていたそうだ。
しかし、何かのトラブルで土人に命を狙われ、崖の上でアワや刺殺されるところを逆に正当防衛で刺殺し、その死体を海に落とし、小さな子船で隣りの島に逃げたそうだ。
そんなエキサイティングな南洋の放浪の話は下手な小説より面白くて、いつもおじさんの話しを夢中で聞いていた。
ボルネオのジャングルの話も聞いた。数年前、ミステリーツアーで行き先がボルネオだったことがあって、私は小躍りするくらい嬉しかった。そして、コタキナバルのジャングルの川下りをした時、不意に涙が止まらなくなった。「オオー、よく来たな。いいべー、ジャングル。お前に見せたかったんだ。よく来たな」そう言っておじさんが大喜びしているような気がした。
末っ子の私を手放したけれど、きっと娘の事をずっと案じていてくれたのだろう、口に出してそんなことを言われたことがなかったけど。
おじさんの愛していたボルネオに行けたことは、私の財産になった。
おじさんの放浪の事は、勤めていた社誌に連載されていて、どういうわけかそれをおじは、私に託した。
そして、おじさんの一周忌の2日前、急に思い立って、それを手書きで一冊の本にまとめた。そして、お参りに来た人に配った。きっと、おじさんの供養になると思って。
あまりに面白くて、いつか、本にしたいと思いながら、まだ実現できていない。
おじさんの放浪の遺伝子は、私の息子達に受け継がれ、長男は2年もアジアを放浪していた。
次男もネパールに行ったことがきっかけになって、アジアン雑貨の道に入り、やはりアジアを歩いている。
私の中にも、そんな血が受け継がれているらしく、時々、知らない国へ行って見たい願望が頭をもたげる。好奇心旺盛という遺伝子が、蓬ほうで色んな人に出逢うことで、解消されているのかもしれない。