ショック

電話が鳴った。公衆電話から。
嫌な予感が・・・・。
つい先日、「ようこそあったかい道」のボランティアで芋餅を一緒に作った仲間からの電話だった。
いつも早口で、せっかちに話す彼女が、低くゆったりした話し方なので、深刻な話なのだと思わず身構えた。
ああ、何と人生は残酷なことか。
末期の癌と聞いて、声を失った。「あなたに会えて本当によかった。大好きだよ。私がどんなに有難く思っているか、本当にありがとう。あなたのマリ藻の歌が大好きだから、また聴きたいから、生きてかえるから、待っていてね」
上ずった声で「待っているよ」としか言えなかった私。
しばらくショックで放心状態。
そのすぐあと、連れ合いが留守電を聞いたら、1か月前に連れ合いの親友の奥さんからの声が。すぐさま、電話した。
なんと、親友が倒れてから2年、携帯は解約し、東京から埼玉に引っ越しし、今は埼玉の病院に入院中とのこと。
道理で、何度連絡しても分からなかった筈。
2年前、連れ合いと電話で話した翌日に倒れたとのこと。
同じ夜、お互いの友人が病気と知った。
生きていると、いつ何事がおこるか本当にわからない。
仲間の癌の知らせに、母が癌で末期と宣告された日を思い出した。
お医者さんの「末期です。手の施しようがありません。手術もできません。見守るしかありません」と言う声が遠くで聞こえた。
小樽からの帰り道、涙が止まらなくて、帽子を深く被り、サングラスをして、それでも涙が勝手に流れた。
そして始まった介護の日々。
あんな、悲しみと苦しみが、今、友人の家族にも始まるのだと思うと、本当に切ない。
でも、一番苦しいのは本人だ。
何も出来ない、もどかしさ。祈るしかできない。
帰っておいで、また、楽しく一緒に歌おう。待ってるよ!シーちゃん!

連れ合いが、友人のお見舞いに埼玉に行くことになった。
そうか、行ってらっしゃい、と思っていたけど、2年前、一緒に東京の彼に会いに行く筈だったし今日急に「私も行く」と宣言。「店は?私できないよ」というyっちに「休む」と。
何となく、今、彼に会っておかないと後悔するような気がした。それと、一人で行くと言ってはいたが、一人で寂しそうだし、私も東京って44年ぶりだし、ま、この際、東京ってとこにも行っておこうかと思ったわけ。
で、早速、チケットを手配、ホテルも決めた。
埼玉の所沢の病院にお見舞いに行き、そのあと、東京見物でもするか。
でも、行きたいところもないし、よくわかんないし、まあ、なんとかなるか。
外国は歩くのに、なんで東京歩けないの?って言われるけど。
44年も前の東京しか知らない私は、かなりの田舎っぺになっている。だから、おのぼりさん状態で、いざ、東京へ。
というわけで、16日火曜日お店休業します。17日から19日まで営業し、23日から5月6日まで2週間、お休みします。姪のハワイでの結婚式参加と、連休の為。
骨折以来、思うところあり。
人生を楽しむことに専念したい、自分の心に正直に生きたい、残り少ない連れ合いとの時間も大切にしたいなど、色々思うわけです。
そのうえで、蓬ほうで出逢う人とのご縁も大切にしたい。
この2年間、やるからには休まないで、やれ!という連れ合いの叱咤激励に、真面目に実行してきたけど、それって、いかがなものか?と。
もっと柔軟にいこうと、路線変更。
「蓬ほう」は私にとって大切な私の生きがいともいえる場所だけれど、65歳のおばさんの私、そんなにあくせくしないで、生きていこうって、3カ月休んで思ったのです。
色んな事を体験して、もっと豊かな自分になりたいな。
体は豊かなんだけど・・・・・・。
だれだ?豊かすぎるって言ってるのは。