311これからフォーラム

昨日の事、何ということでしょう!猛吹雪の中コンベンションセンターに到着するも、雪に阻まれて、なかなか駐車場に辿り着けない中、バスの後をついて行って正解だった。荷物を運びいれ、受付をみると、すでに沢山の避難者の方が、行列を作って並んでいた。
早速、準備にとりかかる。
流石熟練主婦、次々と仕事をこなす。
私は、窓口で芋餅を売る係。
大きな芋餅2個で100円、「ようこそあったかい道」の通貨「道」で「100道」に。避難者には道が配られ、一般の方は現金で買う仕組み。
しかし、道札とは考えたもんだ。この吹雪だもの、人は集まらないかも、の杞憂は見事に外れ、500人の避難者の方が参加してくれた。
広い会場のあちこちに様々なブースが設けられ、中でも、マッサージのブースは人気だったようだ。私の友達の天城流湯治法の方々や、指ヨガの方がた、その他タイマッサージ、指圧など沢山のボランティアの方々のお陰で、皆さんとても喜んでおられた。
1日立ちっぱなしで、帰宅すると足がむくんでいた。
避難者の方のスピーチや、様々な行事、避難者のお店のブースもあって、なかなかの盛況だった。
残念ながら、今日聞いたら一般の方の参加はかなり少なかったようで、残念。
でも仕方がない、この季節外れの吹雪だもの。何でも、旭川からバスで100人来る筈が、高速も列車も止まってしまい、結局100人がこれなかったそうだ。
6回目のこのイベント、規模も大きくなり、市や道や大きな機関も関与しての一大イベントになってきて、参加者も若者が増え、2年前とは様子も変わってきた感がある。
車いすで参加のお年寄り夫婦は、うちの孫達に目を細めていた。
お爺ちゃんは、なんと去年うちの長男が迎えに行ってこのイベントに参加して以来、一度も外に出ていなかったそうだ。
夫婦2人で避難してきて、身寄りも知り合いもなく、ひっそり生きてきて、昨日、息子の家族に一年ぶりに会って、大喜びしていたそうだ。
相馬から避難してきている御夫婦は、とっても仲良しに見えるのに、奥さんが私に言った。「2間しかないアパートで毎日顔みていると、気が滅入るの。嫌いとかじゃなくさ」うん、わかるわかる、そうだよね、その気持ちわかるよー、と言ったけど、後で聞いたら、今年福島に帰るんだと。
やっぱり、友達や知り合いがいる所がいいと。
そうやって、折角北海道に来ても、故郷恋しくて帰ってしまう人が沢山いるらしい。
でもまた、若い人達が大勢避難してきて、3000人の避難者がいる。でも、実態はもっと多いかもと。
夜、芋30キロ、小麦粉7キロ、でんぷん7キロ、たれを寄付してくれたfちゃんにお礼のメールしたら返事がきた。「知恵もお金も出して学べ。その場にいなくても心は届けられる。今の私があるのは、20年前、健康学園(東城百合子先生の講演会)に誘ってくれたあなたのお陰だよ。また、何か役立たせてね」と。20年前、どうにもならない友を無理舎利誘って連れて行った。
紆余曲折色々あって、いまやっと心が安定してきた友達。
そうか、あれから20年か。
ありがとう、fちゃん。

今日、息子がコーディネーターの北海道3,11これからフォーラムがあった。
昨日の疲れが残って体が重いけど、お天気も良くなったし、孫達も学校休んで網走から来ているし、何より、息子がどんなことするのか見届けたい思いもあって、出かけた。
我が家のおかか助産師mさんが来ていて「いやいや、ヨーちゃんの姿、惚れ惚れするねー」と息子の晴れ姿を喜んでくれた。
彼女は我が家の孫7にんのうち、5人も取り上げてくれた人。いつのまにか、私の掛け替えのない友達になり、困った時はいつでも、駆けつけてくれる。
鬱状態の私を救ってくれ、苦悩の時も、もいつでも、気がつけばそばにいてくれた人。
その彼女がさっきメールをくれた。「今日の私はとても幸せでした。アーちゃんの苦労は無駄ではなく、木に沢山の実をつけるのも、時間の問題ですね。あなたの咲かせたハイビスカスが満開を迎えている気がしました。とても、充実感でいっぱいでした。アーちゃん、あんたはえらい!!いつもいつもありがとう。」
自分が消え入りそうな苦悩の時を知っているmさんからのメールに思わず涙が出た。
でも、ごめん。mさんがお見舞いに持って来てくれたお花、枯らしちゃったんだよね。
あ、違うか、ハイビスカスか。
ああ、みなさんに支えられてここまで来たなあと今日は、息子の頼もしい姿を見て、感慨一入だった。