飛んでけ車いす

札幌に「飛んでけ車いすの会」というボランティア組織がある。
中古の車いすをメンテナンスして、海外へ行く人が手荷物として運んで届けるこの会に私も入会している。
12年前だったか、息子の仕事の買い付けに、一緒にくっついて行ったタイへ運んだのが最初だった。
あのあと、ベトナム、フイリッピンへも運んだ。
3年前、三味線の公演で台湾に行く時、運ぼうと連絡したら、台湾は、ニーズがなかった。
結構知られている会だと思っていたけど、私の周りの人は、案外みんな御存じないみたい。
世界各国75カ国、主にアジアが多いみたいだ。
最初それを考えた人を知っているけど、バイタリティー溢れる素晴らしい人だ。
タイへは施設の人に空港で渡した。
ベトナムホーチミンでは、通訳のハンちゃんと一緒にタクシーに乗って、指定の場所まで行った。約束の時間になっても、係の人が来ないので、職員のお兄ちゃんやお姉ちゃん達と「上を向いて歩こう」や色々な歌を歌って、かなり盛り上がった。1時間も遅れて悠々と現れた偉い人は、悪びれもせず二ッコニコ笑顔、でも、そのお陰でベトナム人の青年と仲良しになれた。
次の日、ハンちゃんのオートバイの後ろに乗って、あの交通ルールもないめちゃくちゃなベトナムの道路を走った。生きた心地がしないほど、恐ろしかった。
でも、普通のおばさんが、ベトナム人のオートバイに乗るなんて体験は、めったに出来ることではないと思ったら、楽しくなって恐ろしさも半減した。
懐かしいデイエアジック孤児院で、感動的な出逢いがあったり、仏さんの前で号泣して動けなくなったり、あれって本当に私が体験したことだったのだろうか、と思うほど、月日がたってしまった。
アオザイを作ったお店のやり手婆みたいなベトナム人のおばさんが、まあ、ちょっとここに座んなさい、と言って店員さん達と車座になって、店の床に座って色々な話に花が咲いたっけ。あの時は、ハンちゃんがいなくて、私一人だったから、あやふやな英語で、一体どんな会話をしたんだろう。
あんた、絶対またおいでよ、と言われたけど、あのあと一度もベトナムへは行けていない。
ベンタン市場でナンパした静岡のお兄ちゃんと二人で、生涯忘れられない出逢いもあった。
あの赤ちゃんとの出会いが、その後の私の人生のターニングポイントだったかもしれないなあ。
今日届いた飛んでけ車いすの会報に、フイリッピンに車いすを持って行った人の体験談が載っていて、そこに懐かしいポツキーさんのことが書いてあった。それで、色々な事を思い出したってわけ。
ポツキーさんと一緒に、ナヨンカバタンというストリートチルドレン達の収容施設を訪ねたとき、細いロッカー一つだけが、彼女達の持ち物入れときいて、見せてもらった時、どこかの外国からきた絵葉書が大切そうに貼ってあった。ああ、彼女達にくるその葉書が、どんなに嬉しく大切なものなのか、と胸を衝かれた。
あのあとで、小学校の孫娘のクラスにクリスマスカードを書いてもらって送ったっけ。
日本の孤児院には縁のない私が、何故、ベトナムホーチミンの孤児院に行くことになったのか、考えてもわからない。
神様のお導きとしかいえない体験だった。
その後、タイ、フイリッピンの孤児院とも縁がつき、チェンマイの孤児院は、今では息子の方が、ご縁が深くなってしまっている。
ベトナムでリヤカーに乗っている両足のない人を見たことがある。
タイのカオサンでは、ボードみたいなのに乗って物乞いをしている青年を見た。まだまだ、必要な人がたくさんいる。
幸いなことに、日本には廃棄処分にする車いすが沢山ある。その車いすが新品みたいにピカピカになって、発展途上国に渡っていく。素晴らしいこの「飛んでけ車いす」の応援をこれからもしていきたい。