ラッキー

降ってわいたような電話があった。
北海道に新しく進出する食べ物やさん関係の雑誌の取材の申し込みだった。
しかも、こちらの懐は全く痛まないと。
しかし、手の怪我で蓬ほうは休んでいる。でも、これって、こちらから頼んだことでもなく、あちらからの縁が回ってきたということ。取材の日だけ、ということは可能だ。
去年とおととしの3度にわたり、ポロコという雑誌に蓬ほうを載せて下さって、そのお陰で色々な方達が、蓬ほうを知って下さり、やはりこういう力も必要なのだわと感じた。
住宅の中の目立たない所のこんな小さな店など、知り合いでもないと、なかなか分かってもらえない。
最初、何の宣伝もなく開店し、勿論、だあれも来ない日が続いた。
そりゃ、当然なんだけど、どうしたらよいかも分からず、途方にくれていた。
連れ合いは、ほらみろ、というし、作った物は、毎日家族で食べることになり、流石の私も、あー、と深いため息の日々だった。
それでもyっちは「大丈夫、大丈夫。今に沢山きてくれるよ」と毎日のように励ましてくれた。
そして、新聞社のミニコミ誌に載せてくれたことがきっかけになり、少しずつ広まっていった。
ポロコの取材も大きな転機だった。
市内はもとより、美唄岩見沢、登別、石狩、小樽、千歳、当別新十津川などからも、わざわざ探し当てて、いらして下さるお客様は、雑誌の読者の方々だった。
手の怪我でじっくり考える時間が出来たと思ったけど、意外に、何も考えられなくて、さあて、3月からどうしようかなあ、という程度だった。
手作りのランチョンマットも作りたいと思ったけど、いかんせん、手が動かない。ま、いいか。で、結局、怪我の快復だけに神経がいって、時が過ぎた。
そこへきた、思いがけない申し出に、そうか、春3月、啓蟄のとき、私もまた活動開始なのね、とちょっぴり、気合が入った。
それにしても、今冬の積雪量はものすごくて、蓬ほうの和室の窓ガラスは、雪で割れている。3重になっているので、被害は1枚で済んだけど、未だ窓の上まで雪が積もっている。この寒さで、水落としはしているけど、排水が凍っている可能性もある。春になれば・・・と思っていたけど、今月中の取材らしいから、なんとかせにゃいかん。
写真用のランチは家でつくるとして、あの外より寒い家をあっためるのは、相当の時間がかかるかもしれない。
やってみよう。折角いただいたチャンスを有難くいただこうと、腹を決めた。

2,3日前から、家事をやっていまーす。
3カ月限定だから、何もせんぞーと思っていたけど、リハビリ兼ねてご飯も作って、茶碗も洗って普通の生活に戻りました。
連れ合いは「オッ、出来るようになったか。リハビリになるから、やれやれ」とそばで優しく言います。(優しくです!ほんとです!)
漬けものは、力がいるので切れないから「漬けものきってくださーい」とお願いし、重い鍋も「持って下さい。おねがいしまーす」というわけで、2人3脚でご飯作りをする毎日、まさか、こんな日がくるとは、お釈迦様でも御存じあるめえ、って感じ。
こうなってみると、この2カ月余りの優しさだけで、あとの残りの人生賄っていけるような気がする、って、なんて私は単純なんだろう。
怪我の功名でないけど、いいことづくめの骨折だった。
少々痛い目にはあったけど、こんなことになる為の出来ごとだったような気がする。
私の手を通して、色々な気づきの出来ごとだった。


この前、いわきから避難で札幌に住んでいるsさんの話しを聞いていて、感じたこと。
辛く、悲しいく、苦しい一家ではあるけど、うーん、こんなときこそ、お母さんが笑顔で泰然自若と構えなくちゃ、と。
ネガティブシンキングは、ネガティブな事を引き寄せる。
みんなで、どんどんネガティブになっている気がした。
お母さんは、太陽だから、こんな、どん底の時こそ、明るく笑っていた方が、家族もいつの間にかそれに引き寄せられていくのではないかしら。
お父さんの鬱だって、いつか、きっと治る!と信じ、なんもさ、これくらいのこと、なんもさ、と笑っていけば、きっとなんとかなるって。
で、メールした。「アーちゃんの言うとおりだ。私も笑顔で頑張らないと。ありがとう!って返信がきた。
考えれば、このご縁も不思議なご縁だ。
次男に、親戚付き合いしてと頼まれ、自宅に伺った。家族6人狭い団地の部屋で身を寄せ合っていた。
いわきでは、電化住宅に住み、何不自由なく暮らしていた家族が、原発で突然、何のゆかりもない札幌に避難することになった。市の援助で住宅は何とかなったが、家財道具一式何もない、照明器具もない、ストーブもない、ないないづくしのなかでの、スタートだった。それが、どんなに悲しく理不尽なことなのか、わが身に置き換えても、想像出来ないくらいだ。
sさん一家のような人が沢山いることをしってしまった次男は、すぐさま、支援活動を始めた。
その最初の出逢いの家族がsさん一家だった。
私も、sさんを通じて、福島の人々に興っている理不尽な苦しみを知って、家族ぐるみの親戚付き合いが始まった。
息子は直ぐに「ようこそあったかい道」を立ち上げた。
第1回目のときの、あの東北の人々の悲しみ苦しみを思うと、今でも涙が出てくる。
ささやかな、おばさん達が作った石狩鍋や、芋もちやオニギリや漬けものに、東北の人達は、涙を流して喜んでくれた。「こんなあったかいごはんをありがとう」と涙を流した。
あれから、今度で6回目かな?
2年で6回も開催するって、かなりしんどいことだけど、息子はやった!
だんだん落ち着いてきて、最初のような支援とは違ってきているけど、まだまだ、支援を必要とする人達がいる。
息子が発案し、沢山のボランティアのかたたちのお陰でやってこれた支援行事も、3月10日に7回目の「ようこそあったかい道」が開かれる。
マッサージ関係の方達、食関係の人達が名乗りを上げて、前回同様、市や道も協賛しての、かなり大きな催しになりそう。
でも、最初から関わっている私は、どんどん大きな組織になり、活発にもなってきたけど、なんかが足りないってかんじるんだよね。その、何かが具体的には分からないんだけど。

何度か、ご飯作りを手伝わせてもらっているけど、他にも、私の役目は、東北の方達の思いを聞くこと。
さりげなく、話しかけて思いを聞く、って結構大切なことで、みんな、話したくてうずうずしてるって、よーくわかる。
一緒に涙を流すことも、おばさんだから出来ることかもしれない。
何の解決にもならないかもしれないけど、話すことで、流れることもあるから、やはり、おばさんの役目はあるようなきがする。おばさんの特技は、どんな小さなことからでも、話が途切れず、続くところ。
おじさんでは、会話がぶすっと切れてしまうのだ。
男にとっては、一見下らないような会話の中にも、真理が隠れているんだよー。って大袈裟かな。

今日一日中降った雪が、かなり積もっている。
明日も雪かきかーと連れ合いは、深いため息をついている。
みんな除雪で、疲れている。雪祭りところではないのだ。