ガーベラ

赤と黄色のガーベラの花が私を包んでいる。
お花って、本当に心を癒してくれる。
こんなに可愛いお花をプレゼントしてくれた人は、ふいに現れた。
去年の秋に「こんなにきれいになりました」とあのジクジクつゆが出て切れていた手が嘘のように、赤ちゃんのような皮膚が再生されてきた手を私の前で広げた彼女。
10か月振りに現れた彼女は、きれいな手を私に広げてみせた。
ずっとどうしているかしらと思っていたので、嬉しくて思わず手を握りしめた。
最初に出合った時、彼女は白い木綿の手袋をはめて、食事していた。「どうしたの?」と聞いたら、手袋を脱いで見せてくれたその手の痛々しさに絶句した。
それがすっかり美しい手に生まれ変わって、お顔まで生き生きと輝いている。
あの時、絶望の淵にいた彼女と昨日アトピーで苦しむ彼女が重なっていたので、今日の再会は、わたしにとって、意味のあることだった気がする。
こうやって、ちょっとしたアドバイス自然治癒力を自分で引き出している人達がいる。
アトピーの彼女、大丈夫だからね!
また、母さんに会いに来てね。

我が家の玄関前のヒマワリとコスモスの背比べは、どうもコスモスの勝ちーみたいだ。
ヒマワリさんは、あまりにも自分の咲いた頭が重くてこうべを垂れてしまい、そのすきにコスモスがグーんと伸びたみたいだ。背比べに力を入れ過ぎて、やはり花をつけるのを忘れたみたい。
歌を忘れたカナリアみたいだなあ。

今日デリバリーの依頼がきた。
以前利用して下さったグループの方から。
彼女の事ははっきり覚えている。
なんだかハワイの匂いがするなあ、と思ったらハワイアンをやっていて、しかも私に会ったすぐあとで、ハワイに行くの、って言ってたから。
東京から偉い先生がきてお茶会をするので、そのお昼ごはんを、八剣山まで運んでくれないだろうかと。その先生に私の料理を食べて戴きたいの、との事だった。
沢山お弁当屋さんはあるのに、こんな私の作るものでいいのでしょうか?
まだ先のはなしなので、もう少しお互いに考えて結論を出すことにした。
まだ1度しかお目にかかっていないハワイ好きの彼女は、私を「お母さん」って言ってた。

私の実母は、よく腰を振って踊っていた。「わたしのラバさん、酋長のむすめーー、色は黒いが南洋じゃ美人ーーーー」という歌を唄いながら。
色が黒くて、小さくて、ずんぐりむっくりの実母は、日本じゃ美人とは言えなかったけど、きっと南洋では美人だったかもしれないから、この歌は彼女にピッタリで子供心に、おかしくておかしくて、その踊りを見るたび笑い転げていた。
実母の遺伝子を受け継いだのか、私もハワイアンが大好きで、余興で舞台に立ったこともある。今でも機会があれば習いたいと秘かに思っている。ハワイアンは無理だから、今は腰振り体操をしているけど。
実父が遥か昔、若かりし頃、南洋諸島を放浪して歩いた人だった。多分、そんなことで南洋の歌を夫婦で楽しんでいたのではないだろうか。
実父は、自分の放浪の体験を「放浪記」と題して会社の機関誌に投稿していた。
それを読んだ私は、その話の面白さに感動して、手書きで一冊の本を作った。それをコピーして実父の一周忌に親戚に配った。
その手記を今は、次男が持っているけど「これ本にするか」といつも言う。
へたな小説よりも面白いのだ。ボルネオにミステリーツアーで行った時、実父が喜んで手を叩いていた気がした。コタキナバルの川下りで不意に涙が止まらなくなった。ジャングルの中からおじさんが「おまえ、よく来たじゃなあ。俺が好きなジャングルによく来た!」
兄や姉ではなく、養女に出した末っ子の私が、おじさんの愛した南洋の島に行ったって、一体どんな事だったのだろう。きっと、あの「放浪記」を私に託したのではないかと思う。