リンゴの木村さん

無農薬でリンゴを育てたあの有名な木村さんは、間接的に知ってはいたけど、直接お目にかかったことがない。
今日久しぶりに会った友達が、余市のリンゴ園での木村さんを招いての勉強会の話をおしえてくれた。
本も数冊出して、今や売れっ子になった木村さん、素晴らしいお人柄らしいが、なんせ全国から引く手あまた、講演活動に大忙しらしい。
彼の作る無農薬で自然なリンゴは、一味も二味も違うと、絶賛され一流料理人達からも称賛されていたとか。所が最近、そのリンゴの味が少しく落ちたのではとも言われているのだそう。
それは、あまりにも忙しく、地元にいる時間が少ない為、今までのように彼自身が精力傾けてお世話出来なくなったことが、原因だろうと本人もおしゃっているとか。
リンゴの木自体も、そんなに長生きではなく、絶えず世話をしても限りがあるということ、結局彼自体にも後継者がいなくて、今やっていることが、彼の親族が続けていけるわけではないらしい。
そうか、だからこそ、彼は自分の哲学を日本中に伝える役目を、今、しているのだろうと、私はその話を聞いて思った。
要するに木村さんは、種まきをしているのだろう。日本の人に種をまく、その為には、自分のリンゴの味が落ちることもいとわないのではないだろうか。
直接会ったこともないし、御本を読んだこともないけど、何故か木村さんが、今、危機感を持って、日本の農業を変える役目を果たしたいるのだろうと、友人の話しを聞いていて思った。
そういえば、同じ弘前の「森のイスキア」の佐藤初女さんも似ているなあ。
地球交響曲」という映画に登場したことから、一躍有名人になった初女さんは、全国はもとより、アメリカまで行って講演したり、おにぎりの作り方の講習会を開いたり、大活躍して、ひっぱりだこだった。私も数回講演を聞いたり、食事会でお会いしたり、アメリカに留学していた姪がサンフランシスコで初女さんに、直接おにぎりの作り方の講習を受けたりと、沢山ご縁を戴いていたけど、忙しく全国から引っ張りだこの初女さんの本拠地のイスキアには、いつ行ってもなかなか初女さんにお会いできないとも聞いている。
何故か、偶然お二人とも弘前在住の方、とてもよく似ているような気がする。
数回、初女さんのお話を聞いて、秘かに感じていたのは、何故か痛々しくて、初女さんは、イスキアにいてこその初女さんなのではないだろうか、ということ。
美味しくなあれと、心を込めて作る初女さんのオニギリは、多くの人を救ったかもしれない。でも、その人、その人のオニギリの握り方があってもいいし、何も彼女の身を削ってまでも、伝え歩くことがベストではないのではないかと私なりに思っていた。
どうか、イスキアでご縁のある方に、その命の宿るオニギリを通して、お伝えくださいと。
でも、彼女は、多分、私の勝手な思いを遥かに超えた所で、御自分の役目を果たしているのかもしれない。木村さんと同じように。