オタさん

オタクというのは失礼だからと、オタさんと言うんだって。
なんの話しかというと、親戚の中学生の歌と踊りのグループの追っかけをしている人達のこと。
年配の御方が何故と思っていたけど、少女達がこの北海道で頑張っているので、おじ様達はこの子たちを、何かと応援、支援して色々面倒もみてくれるのだそう。
写真もアップしてインターネットで紹介したり、実に色々な助けをしてくれるとか。
そんな人達を、敬意を込めてオタさんっていうんだって。
へーえ、そうなんだ、と思った次第です。

昨日、三味線の北海道ブロックの大会があって、250人の三味線弾きが集まった。
お客様もいらして、去年まで我が師匠は、とても力をいれていたので、我々もこの日を目がけてお稽古に励んできた。
自分はそんなに上手くないのに、師匠はああ言っていたなあ、もっとちゃんと出来ないかなあとか色々消化不良のまま、本番を迎えた。
始まる前から、去年と同じ場所で、師匠が我々にゲキを飛ばしていた姿がありありと思い出され、涙が出そうになるのを必死で堪えていた。それなのに、挨拶の中で、師匠の亡くなった話を聞いたら、もう堪え切れなくなって、涙が溢れた。
そして、本番、お客様は少ないものの、250人の三味線弾きが、耳をそば立てている。
いつになく、かなり緊張しながら弾き始めた。
どーん、どどどどーん、あら、いいんじゃないかい、うん、なかなかいい音。
音響さんは師匠が目をかけていた人だから、素晴らしい音響効果で、私の耳にかなりのいい音が跳ね返ってきた。
夢中で弾いていたのに、師匠の顔が浮かんでしまった。ここにいる!と感じて。
ふとした心の油断が、これで終わったと勘違いし、慌ててみんなについていく。
後で孫に「あーちゃん、間違ったしょ」と言われてしまう。
でも、弾きながらなんていい音を我々は出しているんだろうと感動して、こんな幸せな時間を持てることに、酔いしれた。
ああ、三味線やっててよかった!とつくづくと思った。
しかも、孫と並んで舞台に立てるなんて、至福の喜び。
孫は今はわからないだろうけど、おばあちゃんと一緒に舞台に立った事を、懐かしく思い出す時が、きっとくるだろう。
孫はあんなに練習して、なかなか良くなっていたのに、本番は、あまり力が発揮されなかった。
婆ちゃんとしては、月謝を出している者としては、かなり不満な演奏だった。
負けず嫌いの彼女は、多分、自覚しているのだろう。
今日も練習していた。
師匠が亡くなったから、等という言い訳は通用しない世界、孫はまた少し大人になったかも。

今日蓬ほうにいらしたお客様6人組の中に、私が、以前自宅を開放して、若いお母さん達に自然療法を伝えていた頃、我が家に来たという方がいらした。
あの当時、結構大勢の方達が、我が家に出入りしていたので、お顔は思い出せなかったけど、お料理教室にも行ってましたと言われ、ああ、そういえば、お料理教室やっていたんだっけと思い出した。
すべてが、今の為にあったのだと改めて感じた。
若いお母さん方に、お料理を食べてもらったこと、お料理を教えていたこと、それらがどんなに今、お店をやることに深く結びついていたことか。
あのときは、分からないでやっていたけど、今ははっきりと、すべての事は、今の自分になる為に、必要なことだったと。
お料理の先生でもなく、普通のおばさんだったのに、何故かそんなことになり、それもyっちや昔、嫁だったtが、私を褒めまくってくれたことがきっかけだった。
それまで、家族にも人さまにも褒められたこともなく、むしろ、家族にはけなされ、批判されてばかりだったのに、yっちとtは「お母さんの作るお料理おいしいー」といつも言ってくれた。
人間、何が幸いするかわからない。

今朝、用事でyっちの所にきたお母さん仲間の方、お習字や、お花の資格をもっているとかで、蓬ほうの店内を見学しながら言った。「ここの前、いつも車で通って気になっていたのに、入る勇気がなかったんです」と。資格を頼りに何かしたいと思いながら、今一歩が踏み出せないという。
「動かないと変わらないよー。私も、動けば変るというメッセージを貰って、動いたんだよ。考えてばかりいたって、始まらないよ」と勇気づけた。
変るも変わらないも、自分で選べるんだよね。
若いお母さん、やってごらん。自分の人生は、自分で変えていくんだよー。
こんな私でも、行動することで、道がひらけたんだよー。若さは、もっと可能性が大きいよー。
と朝からエールをおくった。