真千子さん

岡山に住んでいる友達から久しぶりにメールが届いた。
私の店でご飯を食べて、小樽に行って、札幌の真千子さんのお墓参りしたいと。
真千子さんは我々共通の友達で、帯広の真千子さんと小樽の私が横浜の学校で出会って、岡山のミユキチャンに紹介し、いつの間にか真千子さんとミユキチャンは、私を抜かして大の仲良しになった。
30代後半で結婚し、2児をもうけた後、真千子さんは胃がんで亡くなった。
まさか、癌だとは知らず、電話で話しておかしいなあと思いつつ、子育てに忙しく余裕のなかった私は、岡山のミユキが教えてくれるまで、真千子さんが亡くなったことさえ知らなかった。
岡山からやってきたミユキと二人で、御主人の実家にお参りに行った。あの時の事は、今でも忘れない。「子供もいるのだから、絶対泣いちゃだめよ」とミユキに釘をさされた。
真千子さんの御主人が迎えに来てくれて、途中、御主人がケーキやさんでホールのケーキを買った。てっきり、私達に御馳走してくれるのかと思ったら、何とその日は、真千子さんの誕生日だった。
子供達にハッピーバスデイの歌を歌わせて、「真千子、誕生日おめでとう」と御主人が言った。真千子さんにそっくりな子供達を前に、あんなに切なかったことはなかった。
しかも、ご主人の実家の仏壇は暗く、あまり良い扱いをされているとは思えなく、真千子さんがかわいそうで嗚咽を堪えるのがたいへんだった。
ああ、真千子さん、遅い結婚だったけど、相思相愛の方と巡り合って、しあわせな時を過ごし、2人子供も授かり、一段落したらまた友情を再開できるはずだった。
後で考えると、sosを私に出していた真千子さん、それに気がつかなかった私は、長い間後悔と共に、自分を責め続けた。
あの時、思ったことは直ぐに実行しないと、あとから、とんでもない後悔が襲うと学んだ。藻岩にある真千子さんのお墓に、何度か御参りに行ったけど、もう10年以上も行ってないなあ。
ミユキから真千子さんの話ががでて、若くして亡くなった真千子さんを久しぶりに思い出した。
2人で九州に10日も旅行したこと、バスの中でどちらが先に飴がなくなるか、とか帰省するときはいつも一緒で、小樽の家にも何度も泊って行った。思い出は沢山あって、次から次へと色々なことを思い出す。でも、2人だけの思いでなので、真千子さんがいない今、私は一人であの青春の時を一緒に過ごした真千子さんを懐かしむだけ。
人は必ず死ぬ。沢山の死と向き合ってきたけど、何故か自分の死は、今ではない気がする。いつなのか、いつになっても後悔しないように、毎日を精いっぱい楽しく生き抜きたい。

夕方、若い友達のrちゃんがやってきて、しばし玄関で立ち話しした。
その中で私が外国でガムの紙で鶴を折って、仲良しになった話になった。
忘れていたけど私の「マレーシア旅日記」にそういえば書いたっけ。
暑苦しいバスの中で、立ちくらみをおこした私に席を譲ってくれた優しいマレーシアの少年に、お礼に咄嗟にガムの包み紙で鶴を折ってプレゼントして仲良しになった。
ハワイのホノルルの海岸では、ハワイ人のおじさんのギターで歌を歌った。あの時、ハワイのおじさんに「おまえは歌で世界中に友達ができるぞ」と言われたっけ。マレーシアではアナに歌のお礼をして仲良しになった。
ベトナムの孤児院でも、鶴を折ってシクロのお兄さんたちや、尼さんやまさひろ君と仲良しになった。ニューヨークからボストン行きの列車の中のデッキで、オランダのプロの歌のグループと
仲良しになったっけ。タイのバンコックのカオサンでは道端で変な日本語で歌っていたタイ人のお兄さんに、正しい日本語の歌を歌って、喝采を浴びたっけ。長くアメリカに暮らす親友のメーちゃんの為に、歌詞カードを持参して夜中じゅう歌って、メーちゃんは懐かしくて泣いたっけ。
rちゃんが言うように、お金や物でなくても仲良しになれるって素晴らしいですと言われたけど、別に意識してなかったけど、歌の持つ力や、日本の文化ってすごいなあと改めて数々のそんなことを思い出した。
孫達が「あーちゃんってさ、何でも歌にしちゃうよね」といわれるけど、そういえば、最近全く歌が出てこないなあ。
孫達は其々忙しく、爺さん相手に歌っても反応もなく、ちょっと歌を忘れたカナリアか?