茹で落花生

ベトナムホーチミンで、リヤカーに山積みになってほかほか湯気が出ている落花生に出合った。
両手いっぱい位買っても、数十円くらいだった。お腹がいっぱいだったのに、ホテルで食べた茹で落花生は、美味しくて、それから私の大好物になった。
フイリッピンのマニラで、車が信号で止まる度、車目がけて物売りが殺到してきた。
窓ふき用のボロキレ、一本売りのたばこ、お菓子に野菜、海が近いのか釣りざお、帽子等などその品物に驚きながらも笑ってしまった。
そして、私の目の前に、あの茹で落花生が。
「あれは?」と言うとすぐに私の手にその茹で落花生がのった。
同乗のフイリッピン人が買ってくれたのだ。ヤッター、その美味しかったこと。
信号が青に変わると、蜘蛛の子を散らすように物売り人は散らばって行く。それが、信号が変わる度に繰り返されていく。
煙草一本って面白いよね。ベトナムでもたばこ屋さんに箱だけ持っていくと、一本でも2本でも入れてくれる。エコだなあと感心したけど、フイリッピンも同じだった。なんでもかんでも、箱やら紙やら、にラッピングされ中には2重、3重にも無駄に包装されて、いつから日本はこんな風になってしまったのかしら。
私の子どもの頃、トーフはボールを持ってトーフ屋さんから買った。
お菓子はガラスのケースに入っていて、新聞紙か模造紙の袋に入れてくれた。
すべてのものがシンプルだった。紙のふくろさえあれば、成り立っていた。
そして、買い物には買い物かごを持参し、風呂敷も大活躍だった。
お婆ちゃんは一反風呂敷に色々な物を入れて、背負って歩いていた。
五、六十年前のあの頃は、便利ではなかったけど、なんの不満もなかったなあ。
ちょっと脱線、落花生の話しだった。
落花生は温かい所で採れるものと今まで思っていた。しかし、去年、岩見沢の方から、お土産に岩見沢産の茹で落花生の冷凍を戴いた。岩見沢で、落花生がとれるって聞いて、驚いた。
今年、私は落花生の苗を見つけて、3本買った。
寒かったせいか、1本駄目になり、2本は今のところ育っている。
札幌でも落花生が育つかどうか、大事に育てよう。

昨日、長沼の道の駅で「空心菜」の苗を見つけた。
空心菜は、アジアではポピュラーな野菜で、あらゆる料理に出てくる。他に野菜はいっぱいあるのに、アジアの人は空心菜が大好きみたいだ。
夕方、畑に地下植えした。これも、成長が楽しみだわ。

今、テレビでアゼルバイジャンが出ていた。
ああ、ナジムはどうしているかしら?とイケメンだったナジムを思い出した。
yっちと二人でいつも、うっとりしてナジムを見ていたっけ。
回転ずしに連れて行ったら、目を白黒させて驚いていた姿が目に浮かぶ。
私の還暦のお祝いにと、小樽のグラスをプレゼントしてくれた。エンジ色のまあるいそのグラスは、今も大事に使っている。
アゼルバイジャンという国においそれと行けるはずもなく、もう会うこともできないかもしれないけど、超美男子だったナジムも、日本の母さんを思い出してくれているだろうか。

トルクメニスタンのアッヤも、もう会うことが出来ない人かもしれない。
イスラム教のアッヤはスカーフを被り、長いドレスを着た美人だった。
優しく思いやりがあって、子供達もあっという間に仲良しになった。私とも、とても気が合った。
文通しようよと言ったら、悲しそうに「そういう交流は出来ないの」と言った。
あとで知ったけど、お国の政情が不安定だったみたい。
トルクメニスタンなんて全く知らない国だったけど、いつでも、アッヤは元気で幸せにやっているかと思い出している。

バングラディシュから来たコビールは、私が今まで会った人の中で、一番頭が良い人だった。
日本に留学が決まった2か月前に、日本語を勉強したとかで、でも、日常会話は完ぺきだった。
裁判官という仕事柄、何でも覚えておかなければと、彼の頭の中は知識でいっぱいだった。
日本の歴史も、日本人の我々より詳しくて、コビールが言った事ごとを、連れ合いは辞典で調べて確認したほどだった。
冬に来たので、雪に大喜びし、除雪や、融雪機にビックリしていたっけ。
着物が良く似合って、本当に紳士で素敵な人だった。
ホームステイの受け入れを始めてから12年たち、その間35人までは覚えているけど、2,3日しかいなかった中国人の子たちは、あまり印象が薄くて覚えていない。
でも、深く関わった子たちは、名前も顔も国もはっきりと覚えている。居ながらにして、外国旅行しているようなものと息子はいうけど、本当にそう。
世界は広いのに、我が家に縁あってきてくれる彼等。
言葉なんて通じなくても、心は通じ合うということを、彼らから学んだ。
7月、久しぶりにまた外国からホームステイにやってくる。
どんな出逢いがあるか、とっても楽しみ。