山菜

昨日の朝「山菜の時期なのに今年はだあれもくれないなあ」と独り言を言ったら、息子達が支笏湖キャンプで採ってきた竹の子を持ってyっちが現れた。夕方、会議で街のホテルにいる時「蕗いるかい?」と姉からの電話。夜帰宅するとどなたが下さったのか、玄関フードに竹の子とウドが置いてあった。
いやいや、聞こえたんかい?というようなタイミングの良さ。
早速、ウドの酢味噌和え、ウドの皮のきんぴら、蕗のグルテン合え等作った。中でもウドの皮のきんぴらは私の大好物、おいしい!竹の子も皮を剥くのはかなりの手間だけど、溜まり醤油をつけて食したら最高だった。残念ながらウドの葉はてんぷらに出来なかったけど、今旬の山菜を堪能した。なんて有難いこと。家の周りも一回りすれば、雪の下、毒だみ、蓬、アザミ、たんぽぽ、すぎな、つくし、現の証拠、コンフリー等など精進揚げの素材には困らない。
本当に一斉に芽吹く旬の野草たちと山菜、ここに住んでいる事に感謝の日々です。

昨日の会議はおばはんの私には場違いのような会議、でも断りきれない事情で何とかになっているので、たまには出ないとと思い出席。ああ、私にはわからない世界、きっと頭がいい人ばかりなんだなあ、数字を数えるたび、一、十、百、などと数えないと単位の分からないような数学的には全く向いていない脳みそを持っている私としては、億単位の数字をこともなげに羅列する人に一種尊敬の眼差しでみていた。連れ合いなど「おまえ馬鹿か?」というけど、ほんにその点では馬鹿かも。でも、65年間あまりその点で困ったことはない。というか、全く縁がなくきたってとこか。
お堅い会議終了の後は、懇親会でホテルのお食事とビールをいただき、最後のデザートを食べそこなった私、帰り道地下から上がり、小樽の有名な「あまとう」を見つけちゃったもんね。
食べるしかないしょ、高校時代から食べている「あまとう」のクリームぜんざいを迷わず注文。
実に50年も前から食べ慣れているあまとう。
自分ばかりいい思いをしてもなあとお土産をゲット。
そういえばあまとうの名物社長はもうとっくにいないよね。あの頃でもいいお年だったもの。船長の恰好でマイク片手に店で何か喋っていたっけ。
小樽に行かなくても、大通りに行けばいつでもあの懐かしい味に出会えるんだと、今更ながらきがついた。
うれしいーー。

先日nhkテレビで福島に帰った熊さんの特番をしていた。熊さんを知っている私は懐かしくて熊さん達も頑張っているんだね、とそう思って観ていた。
所が今福島から避難してきているsさんの感想は意外なものだった。
「沢山の人が観ているテレビであんなふうな言いかたされると、困る」と。
立場が違うのだ。熊さん達は東電関係の仕事をしてきて、その町に住み恩恵も受けて今まで来た。そして、避難しても様々な恩恵を受けている。だから、何かを要求する時は、こんなことまで頼んでもいいのだろうかというある種の遠慮が生じると奥さんも言っていた。
しかし、sさん達のように、確かに放射能被害はありながら、政府の線引きの外にいる為に、何の保証も恩恵も受けないという立場にいる人達にとって、被害者全員が同じではないのだ、同じと見られることへの強い警戒感があるのだ。
そう言われれば、そうだよね、きっと何も知らない人があれを見たら私と同じような感想しか持てないだろうと思う。
マスコミって難しいね、あれはあれで事実なのだけど、sさん一家のような体験をしている人にしてみれば、我々よりずっといい思いをしているって感じるのも致し方ないのではないだろうか。
この前初めて、3,11の時sさんパパが仕事で原発のすぐそばにいて、会社から逃げろと言われ逃げた先がもっと放射能の高い所で、あのとき誰も指示も情報もなく多分相当の放射能を浴びてしまったそうだ。その後体調不良になったけど、仕事を休めず、結局倒れて鬱発症し現在に至っている。これって、はっきり原発のせいなのに、会社側は奥さんが逃げたからだとか責めて、家族を苦しめた。ああ、sさん一家のような責め苦を背負った人達は、沢山いるのだ。私が知らないだけ。もう前だけ向いて生きて行きなさいと言ってはみたけど、それって体験してないから言えるんだよねと、あまりにも大きな難題を抱えているsさんの言葉を、私は黙って聞くしかできない。でも、北海道の人は本当にあったかい。私の周りの人達は、sさんに優しく温かく少しでも力になりたいと思ってくれている。店で出会った人とお友達になったり、車で送ってもらったり少しずつ輪が広がっている。
sさんも札幌に来て本当に良かった。みんなあったかいんだもの。嬉しい、と言っている。
「ようこそあったかい道」だからね。