カラス

連れ合いが今年初めてのゴルフに行った。
朝早く出かける彼の為に、朝ご飯を作り、昼食用のおにぎりを握り送り出した。
おにぎり食べた?と帰宅した連れ合いにきいたら「いや、食べんかった。というより食べようとしたらおにぎりなかった。カラスにやられた」「えーーーっ」
カラスにおにぎり盗られたのは初めてではない。去年2度もやられている。しかも、ゴルフバックの中に入れて、ファスナーもしっかりしていたという。
去年やられた場所と違うゴルフ場だから、まさかと思ったそうだ。
早朝、眠い目をこすりながら作ったおにぎり、恩に着せるわけではないけど、カラスにやるために作ったんでないしょや、と言いたいところだが、賢明な妻は「あら、残念」とだけ言っておいた。
金かけて、贅沢な遊びするんだからお握りなんて持っていかなくても、いいんじゃないかい?とだんだん年とって大儀になってきた妻は思うのだが、なんか、この仲間は、何故かみんなお握り持参だとか、もしくはコンビニで買って持って行くのだそうだ。
しかし、カラスって頭がいいねえ。ファスナー口ばしで開けちゃうんだよ。去年やられた時は、ビニールに入れて、ナプキンで包んであったのに、中のお握りだけやられたって。
カラスといえば、義兄の借家に住んでいるおばあさんがカラスに餌をやっていて、ご近所から苦情が出て、義兄も何度も本人に交渉を試みるも、いつも居留守を使われ、文書で対処するように警告したり、近所の住人から大屋が何とかしろと、怒りの矛先を向けられたり困り果て、連れ合いと2人で先週2階の窓から餌をやるらしいからと、2階の窓から紐をかけてカラスが来れないようにしようと決めて、道具を揃えさあ、行こうという間際に、そのお婆さんから手紙がきて「近所の人が人が寝ているときにドアを叩いて精神的におかしくなりそうなので、しばらく留守にします。カラスはそのうち諦めるでしょう。ご迷惑かけました」と書いてあった。
お婆さんが餌をやるので、カラスは仲間を連れてきて、かなりのカラスが集まり、近所はカラスのフン公害で困り果てていたというから、ま、一件落着ってところか。
それにしても、このお婆さん、どういう考えだったのだろう。なんでも、家の中はゴミ屋敷だそうだから、もしかしたら精神的な病だったのかも。
近所の公民館の前でも、どこかの年配の女の方が、カラスに餌をやっているのを見かけた。
警察や、公民館の職員がいくら注意しても聞かないということだった。
しかしだ、カラスに罪があるわけではない。カラスはただ食べ物が欲しいだけだから。
しかも、都会には食べ物がないから、仕方なく、ゴミあさりしているのだ。
カラスの食べ物がなくなったのは、だれの責任?ってことになれば、結局人間ってことになる。
先日、お客様にこんな話を聞いた。
お母さんカラスにえさを貰って成長した子供カラスは、初めて自分で捜した餌を、お母さんカラスの口ばしに入れて恩を返すのだと。
最初にとった餌をお母さんに食べさすんだよ、とその人は泣きながら私に教えてくれた。
嫌われ者のカラスが、実はそんな尊い生き物なんだよと。
そういえば、アラスカの原住民の間では、カラスが神の使いと崇められていると聞いたことがある。
カラスにとっても生き難い人間の世界だわね。

今日、登別からいらしたお客様が帰りがけに「色んな所に食べ歩きでいっているけど、精進料理もたべているけど、今日のお料理は素晴らしかった。もし、料理教室するなら、声かけてね。
教えて欲しい」と。
身に余るお言葉で恐縮、教えるなんてとんでもない、閃きで作っているだけなのに、人様に教える何物もない私です。
yっちが作った「きなこレモンケーキ」も「これは素人の作ったものではない。素晴らしい!」と絶賛して下さった。
こんなお客様のおほめの言葉があって、私は張り切ってまたお料理出来る。全く儲からないけど、こんな方達がいて、お金では買えない幸せをいただいている。
私があそこにいることで、色んな方々がやってきて縁を結んで下さる。こんな幸せなことが、私の後半の人生にやってくるなんて。
落ち込んだり、連れ合いの理解のない言葉にめげたりしながら、でも、この1年半、始めたことに全くの後悔はない。揺るぎない何かが自分を支えてくれている。
連れ合いの一見、理解のない言葉も、実は私を揺るぎないものへと導いてくれる言葉かもしれないと最近思う。
我が家にいては到底出会えない多くの方達に出会える喜びは、私の最終章に入った人生の大きな拠り所になっている。
私は明日65回目の誕生日を迎える。
随分年月を重ねてきたなあと感慨深いけど、今が一番幸せと思っている能天気な私です。