びわの葉

先日びわの葉が欲しいーと書き、また三味線仲間が子宮筋腫を治したいからアドバイスをと頼まれ、びわのお灸が効くから彼女の為にもびわ葉が欲しいと思っていたら、何と今日そのびわ葉が私の手元に。
しばらくぶりのお客様が九州からとってきたというびわの葉をお土産に持ってきてくれたのです。
ヤッター!
これってシンクロ?かな。
まだ若葉ではあるけど、立派なびわ葉、さてエキスを作ったり、お茶にしたりお灸に使ったりと、週末また仕事が出来ました。
気がつけば5月も半ば、あちこち飛び回っていたので、今日が17日だなんて改めて驚く。
火曜日、久しぶりに早起きして3時間立ちっぱなしでランチの準備をしたけど、あまりに久しぶりなので、作りたいものが次から次へと思い浮かび、気がつけば料理の事以外考えずに没頭している自分がいた。
しかし、この日お客様は恵庭からのyちゃんのみ。でも、話が尽きず楽しい時間を過ごせた。
そして、昨日は月一度の歌のボランティアの日、yっちは参観日なので留守番できないというし、初めて店を1時半に閉めることにした。
なんと、次から次へとお客様来店、私一人でてんてこ舞い。11時から1時半までの2時間半、最後のお客様はご飯がなくなり、おことわりして淡路で買った玉ねぎソーメンを作った。
今旬の野草を採って精進揚げを作るので、余計に手間がかかる。
採ったばかりの野草をお客様に見ていただいてから揚げるので、お客様はとっても喜んで下さる。その顔を見るのも幸せ。だから大変だけどやめられない。
昨日は時間がなく、食器をそのままにして出かけた。
帰ってきてその食器をみて「ああー」とため息が出た。
ボラ仲間が手伝ってあげると言ってくれたのを断らなければよかった、と思った。でも、私の仕事だ。そこへ4年生9歳が顔を出した。聞けば、空手までまだ時間があるという。
「手伝ってくれる?」「いいよー」いやはや、この子の働くと、働くこと、山のように溜まった食器が2人の連携であっという間に片づいていく。
本当に昨日は有難かった。
おりこうさんの9歳児に今日おだ賃2百円渡した。
昨日、義兄が危篤というので朝病院へ。
もう消え入りそうな呼吸で、心の中でお別れをした。いつ逝ってもおかしくない状態だけど、今日行ったら少し回復したようだった。筋委縮性側索硬化症という難病にかかってからもう6年、病気がわかりまだかろうじて口もきけるころ、「俺はもう死ぬ。色々世話になった」と言った。
随分長い闘病生活だったけど、お兄さんだったから耐えられたのだと思う。体はもとより、口もきけないというのが、どんなに辛いことか、経験してないから想像でしか分からないけど、お兄さんよく頑張ったねと心からそう思う。
今、まさに命の灯が消えようとしているけど、危篤になってから、行くたびに動かない筈の口が動く。きっと「ありがとう」といっているのだと感じた。
さっき、息子夫婦がお見まいに2歳じを連れていったそうな。その2歳児が帰り「おじちゃん、笑ってたね」と言ったと聞いてああ、2歳児はお兄さんの心が読めるのだと思った。
そうか、お兄さん、笑ったのか・・・・笑ったのか・・・・、ああ、嬉しいなあ。
あんなに苦しいのに笑ったんだと私はいま感動で涙が溢れています。

昨日、歌の中で[菜の花畑に^^」というのがあって淡路島で菜の花畑を見てきましたよーとお年寄りの方達にはなし、薄い紫いろの花も見ましたよー、でもその花の名前忘れてしまいましたーとお話しして、何としても思い出せず、今朝、朝ごはんを食べていたら突然「蓮華の花だ」と思い出しました。ま、思い出しただけでもいいか。
それにしても、歌の力音楽の力って素晴らしい。
ボケの人もそうでない人も歌い始めると区別がつかなくなる。
みるみるうちに、明るい波動が満ち笑顔まで出てくる。
「あー楽しかった。ありがとう。また来月楽しみにしてるよ」などと声をかけて下さる方もいて、店を閉めてまで来て本当に良かったとつくづく思った。
自分自身も普段あまり歌を歌わなくなってきたので、1か月に1度のこの歌のボラは、自分にとっても楽しくさせていただくことが嬉しい。お爺ちゃんもお婆ちゃんもみんな本当に可愛くて魅力的。じき私の行く道だと思うと、余計親近感が沸く。
ボランティアの仲間達も相当の年齢の人もいて、みんな「ああ、今日も楽しかった」ととびっきりの笑顔になる。だから、私の生活の中でとても重要な位置を占めているこのボランティアを大切にしたい。
今日は義兄の納骨で滝の霊園に行き、親戚10人でお昼を食べ、yっちのsOsで大急ぎで店に戻り仕事、そのあとまた病院へとめまぐるしい一日だった。ゆっくりお風呂に入って寝るとしよう。