春嵐

春になったと思いきや、今日の吹雪はすごかった。
風も強く、築43年の蓬ほうのトイレの窓は、ガタピシ音を立て、風もビュウビュウ入ってきた。
家の中で唯一サッシではなく、昔の木の窓だから。
こんな吹雪にまさかお客様がくるとは。
なんて有難い、お一人は東京からお母様の看病にいらした方。
最近、随分と道外からのかたとご縁がある。とっても美しい方で、今でも充分美しいのだから、お若い時はさぞかし素晴らしい美人だったろうと想像できる。
思わず「なんて美人なんでしょう」と言ってしまった。
同性でも美人を前にすると、何となく華やぐ。美しいものは、人間でも、ものでもいいなあと思う。
私は生まれてこのかた美人という言葉とは無縁だった。「不」は常に付いていたけど。
だけど、別にこの顔に不満をもったこともない。というのは嘘かも。
結婚したばかりの時、連れ合いに「おまえは出っ歯なんだから、あまり濃い口紅をつけるな」と言われ、事あるごとに出っ歯だと言われ、いつも傷ついてたっけ。私より出っ歯の姉は、婚家先で「あんたのその口元いいねえ」といつも褒められている、と聞いた時、この違いは何だろうと思ったっけ。
随分長い間、この出っ歯は私のコンプレックスだった。思い余って歯医者さんに相談したら「そんな立派な歯なのに、治すなんてとんでもない」と諭された。
そして、数十年たち、いつの間にか出っ歯が全く気にならなくなった。不思議だねえ、あんなに嫌だった出っ歯が、全く気にならなくなるなんて。
幸いなことに、7人の女の孫は、誰一人私の出っ歯を受け継がなかった。みんなかみ合わせのきれいな美しい歯の持ち主で、特に12歳の子の横顔の美しいこと、なんてきれいな横顔といつも見とれている。
自分が美人ではないせいか、美人にあうとつい見とれてしまう。長男の妻のyっちもかなりの美人、普段はメガネをかけおしゃれもしないけど、何かあってお化粧してパリッとすると、見とれるくらいの美人になる。この前は、卒園式に真っ白の地に緑の松の刺繍の着物を着つけている時、その美しさにうっとりしてしまった。なんて美人さんなんだろうと。
息子に「きれいだねえ」というと「いや、お化粧してない方が美人」だと。
ま、そんなわけで不がつく私は、美人には弱いのです。
美人で思い出したけど、2年前チェンマイに行った時、素晴らしい美人のお姉さんが、ビールを持ってきた。おっぱいも大きく、ミニスカートで
腰を振り振り品を作って、にっこり微笑んで目の前に現れた時、きっと男ならクラクラっとくるだろうと思った。うーーん、素晴らしいわ、この色気、と感心していると、そばにいた息子の店の従業員のタイ人達がニヤニヤして「オカマ」と言った。
まあ、この美人が男なのか?
タイはオカマ天国、あちこちオカマさんが普通にいるから、一見見分けがつかない。
何でも、高校でオカマの美人コンテストがあるというお国柄だからね。
そういえば、ベトナムハノイでも年のいったオカマさんを見た。
商店街で道路に座ってぼんやり道行く人を見ていた時、私の前を背の高い奇妙な歩き方の女装の人が何度も往復した。最初は、ハノイにはにつかわしくないドレスを着たその人が男だとは気がつかなかった。最近は知らないけど、10年前には、ベトナムにオカマがいるとは想像もしていなかったので、ビックリして目が点になったっけ。彼は決して美人ではなかったけど。髭面に真っ白に白粉を塗っていた。
いつも、ベトナムにまた行きたいと思いながら、もう10年の月日が流れた。