乾杯の音頭

色んな場面で乾杯の音頭を取る人を沢山みてきた。しかし、自分がいざ、その役目をすることになると、何をどうする?とうろたえた。
いくらお断りしても、頭を下げられ渋々おうけしたけど、さあ、困った。
丁寧な言葉に弱い私、ざっくばらんな井戸端会議ならまあ、なんとかなりそうだけど、今日のお祝いの会は、天皇陛下より御下賜金を拝受した祝賀会だった。
いくら私でも、あのさあ、みたいなことは言えないではないか。
夜も寝られず(そうでもないけど・・、だいたい御下賜という字、調べてやっと読めた。ごかしと読むんだそう。
道会議員や偉いおじさま達の挨拶を聞いているうち、言おうと思っていたことは言われ、しかも、ちょっとお風呂で練習したのに、すっかり忘れてしまった。
さあ、本番。なんとか舌を噛まずに、丁寧語を言え、我々ボランティアの25年の歴史も話せ、無事なんとか「乾杯」の音頭終了。そのあとに飲んだビールの美味かったこと!
まぐろの解体ショウのあとのトロの美味かったこと、自分がマグロアレルギーなのも忘れ食べた!
牛肉のカツは何と箸で切れるほど柔らかかった。
まとう鯛の塩焼きは、これまた味わったことがないほど美味だった。
そして、思いもかけず、我々仲間が一人ずつ表彰された。25年前は若く溌剌としていた仲間達は、今や、介護される側の年寄りになってしまった。自分達が思っていた以上に、この25年を評価していただき、感謝感謝だった。
思えば、介護の最先端を担っていた施設は、ボランティアスクールなるものを設け、様々な学びを仕込んでくれた。
そして、職員の片腕になり、巡回入浴、シーツ交換、入浴介助、デートボランティアなどなど、本当に色々な事に取り組んできた。
25年、途切れることなく活動出来た事は、やはり凄いことかもしれない、と今日表彰されて改めて思った。
でもやはり、ボランティアは、自分の為、自分が楽しくなかったら続かなかったこと、受け入れてくれる施設とお年寄りがいなければ、こうも長くは続かなかった。
会の代表をさせていただいているばかりに、花束や、菊の御紋の金杯までいただき、いやはや、有難いけど、どっと疲れた私です。
帰宅して、着物を脱ぎ、ほっとする間もなく孫を連れて本屋へ。
自分への御褒美に「野草の力をいただいて」という本と野の草の模様の便せんを買った。
面白い体験だったけど、これはもう経験しなくてもいいかな。

一昨日のこと、kさんと一緒にいらした方が八雲から来た方と聞いたのは、もうコートを着て帰る準備をしていた時。
「あら、八雲?kkさんって知ってます?」知っているわけはないと思いつつ、なんか繋がっているような気もして尋ねた。「知っているも何もとても親しい知り合いよ。何か偉い三味線の先生が出るからと、チケット売る手伝いもしたし、あれは、凄かった。八雲のあのホールが満杯だったもの」「あーー、それって私達の先生です!私達も出演しました!」とインド帰りの三味線の仲間と同時に叫んだ。
なんと、八雲と繋がったとは。
インド帰りの岩さんは、ダラムサラにダンスの勉強に旅立ち、2年の修行を終えインド名の踊りの名前も授けられ、タイのバンコクでデビューをし、帰国して今回のリサイタルに駆け付けた人。
数年前、青森行きのバスの中で[店を出したいの」と相談したら「あなたなら絶対出来る」と強い励ましを貰った。だから、彼女にはお店を見て欲しかった。実家の岩手が地震で被災し拠点を岩手一関に移し、これから一関で色々な活動を広げようとしている彼女、私よりは若いけど、それでも50代で仕事も辞め、自分の好きなことに挑戦するために、単身インドで暮らす事を選択した彼女の行動力を私は尊敬する。
どんな踊りなのか分からないけど、いつか彼女の踊りを見てみたい。
自分の思いを実践し、自由に自分の考えで生きている彼女が、輝いてみえた。