今年もよろしく!

師走に義兄が旅立ち、暮れにはボランテイアの仲間が闘病の末旅立った。30日には近所の御主人が脳出血であっという間に旅立った。みな其々に悲しみのお別れだったけど、54歳の働き盛りを失った奥さんは、気の毒なほど打ちひしがれて、どう慰めていいのかわからなく、ただ手を握ってきた。
去年10月、46歳で旅立った三味線の師匠の事は、いつも心から離れず、時々不意に涙がこぼれる。
ああ、先生はもういないんだと思うと悲しさと寂しさでやりきれなくなる。
そんな悲しみを、5人の孫達のとてつもないうるささで、紛れているのも事実だ。
7人の孫全員が揃った5日、2歳から13歳までの女の子を見ていて、なんて幸せなのだろうと、そのうるささを通り越して思った。
元旦、本当は喪中なのでお正月はしないことになっていたのだけど、本家の兄夫婦の計らいで、例年通り本家に集まった親族は総勢32名だった。次男家族4人はタイに行って欠席のほか10名ほどが欠席。
少しずつ欠けていくけど、また増える。それを繰り返している。一人減って、一人増えた去年。
こうして人は生きていく。そして死んでいく。
その死にゆく日は自分では決められない。
何時なのかわからない。
どんなに健康に気をつけていても、ある日突然息絶える人、大酒飲んで煙草吸って悪たれついても、長生きの人もいる。誰とは言わないが。美人薄命とずっと言ってきた私も、64歳になった。いや、最近は薄明でなくなったので、あまりその言葉は使わないけど。
父は長年の糖尿病でインシュリンを打っていた。
少しでも改善を願った私は、食事療法を実践し、様々な取り組みをして苦心を重ねた。結果、「あいつは俺に飯も食わせん」と恨みを買い、最後は、ぐちゃぐちゃ食の中に薬まで入れられた食事で「餅食いたい」といいながら、結果ぐちゃぐちゃ食で喉詰まりして死んだ。
母は、パット死にたい、と言っていたのに、ぱっと死ねず、自宅介護の末、私に看取られながら死んだ。叔父は戦争の傷を背負いながら、大酒飲んでまわりに迷惑かけ、それでも傷は癒えないままどうしようもない苦悶のうちに死んだ。あんなに明るくて面白い義兄は、大量の血を吐いて苦しんで死んだ。私をいじめた祖母は私の名前をうわごとで言いながら死んだ。私の周りから沢山の人が死んでいった。
本当に人の死は様々、思う通りにはならないらしい。
だからこそ、今を大切に生きようと思う。いつどうなるかわからないこの命、大切に愛しんで今年も私らしくいきたい!今年もどうぞよろしくお願い致します。
蓬ほうは10日からの営業です。
yっちが先ほど妹の出産に立ち会うため、急遽東京へ。間に合うかどうかの瀬戸際ですが。妹は何某有名病院の医者、第2子の出産は、第一子の帝王出産に懲りて、自然分娩を希望したので、自然分娩の先輩の姉に見守ってもらいたいとの本人の強い希望での上京。母親のいない姉妹だから、姉が母親代わりだから、仕方がないけど、yっちがいないことは、こちらは、かなりの負担に。今まで何度もこういう事はあったけど、難なくこなしてきた。やはり私も年をとってきた。負担に感じる。
明日から私は5人の孫のお母さん代わりに。
ああ、ただでも疲れ果てているのに・・・と思わず、さあ、頑張るぞ。頑張るってあまり好きではないけど、頑張らねばならない時もある。
それにしても、冬休みって長過ぎないか?