屋久島へ

行ってきました屋久島へ。
指宿に泊まり、日帰りの屋久島だったので、縄文杉にはお目にかかれなかったけど、それでも3000年も生き続けている屋久杉には出合えた。
はるか昔の3000年という時を、ずっと生きてそこに立つその屋久杉、その存在自体に圧倒される。
縄文の時代から、流れる清流、苔むした岩たち、すべての自然に圧倒される、というのは当てはまっていないか、圧倒されるではなく、ただそこにあるということ自体が静かに沁みてくる。
ずっと夢見ていた屋久島がそこにある。
行ってよかった。行けてよかった。
指宿の砂蒸し風呂には驚いた。なんと波打ち際から湯気が立ち上っていた。80度くらいあるらしく、きっとあったかい波が打ち寄せているのだろう。
15分も砂に入っていると体がポッポとして汗が噴き出してくる。きっと腰痛や肩こりなどに効くのだろう。もう少し入っていたかったけど、なにせ時間がない。ツアーというのは、安いし、なかなかいい面もあるけど、忙しすぎる、やけに土産物屋に連れて行きたがるなど欠点も多い。でも、安くて、考えなくてもいいのだから、それはそれでいい。
団体旅行だから。知覧博物館では辛すぎて、あまり長居したくなかった。17歳からの青年達のあまりにもむご過ぎる犠牲涙なしには見られない辞世の手紙、ああ、なんということを人間はするのだろう。
そして、今は亡き友人と見た開聞岳、すっかり忘れていたけど、45年前、確かに真千子さんと二人で見た開聞岳。ああ、真千子さん、語り合うこともなしに、あなたは逝ってしまった。
忘れていた真千子さんが、思いだされる。