ようこそあったかい道

第4回の被災者支援の「ようこそあったかい道」が昨日開かれた。
1回目、2回目と、言い出しっぺの息子に頼まれ、おっかさん部隊を編成し、沢山の応援のもと、見事100人以上の炊き出しをさせていただき、普通のおっかさんでもやればできるという自信をもらった。
3,11の直ぐ後だったので、被災者の方達は、一応に温かい食べ物に事欠いていたので、我々の作った鮭鍋や、芋もちや煮物等に涙を流して喜んで下さった。3回目はプロの調理師さん達の炊き出しだったので、我々は出番がなかった。そして、昨日は、「ポンアンドジャスティス」というグループが炊き出し隊として東京からやってくるので、母さんは配ぜん係をやってと頼まれ、nちゃんtちゃんそしてyっちと二人の子供達の6人がお手伝いにまわった。
私は三味線のボランティアの係もしなければならなくて、あちこち走り回っていたので、あまり炊き出し隊のかたとはお話しする機会がないまま、帰りの玄関前で彼らに挨拶をして一緒に写真をとり、名刺の交換をして驚いた。
なんと彼らグループは、塩釜の島に暮らす人達で、彼ら自身が被災者だった。10数名のメンバーのほとんどが今回の地震で家を失ったり、原発付近に住んでいた方達で、自分たちも辛い中、他の避難者のお役に立ちたい、我々の姿をみて元気になってほしい、そして、自分たちも元気になりたい、という思いで炊き出し隊として、札幌まで来られたそうだ。
しかも、かなりの年配の方達もいらして、私はあまりよく知らないまま、お手伝いしていたことに少々後悔した。
ちゃんと、知っていればもっと違う意味で仲良しになれたかもしれない。でもまあ、最後に握手をしたりしてほんのひと時触れ合いを持てて本当によかった。肉はアメリカからの提供、野菜は現地で調達するも殆んどは寄付で賄うそうだ。メンバーの中には今も避難所で暮らしている方もおられるとか。そんな辛さは微塵も見せないおじさま、おばさまの明るい笑顔が嬉しかった。
今回初めて主催に札幌市が加わって、ボランティアも100人を超し、協賛、協力、後援、共催とかなりの協力があってのイベントになった。
たったひとりの若者が言い出しっぺとなって始まったこの企画が、こんなに輪が広まったのをみて、我が息子ながらよくやったねと褒めてやりたい。
今回もまた、色々なお話が聞けたり、出逢いがあったりして、有意義な1日だった。
帰宅してすぐ、義兄の見舞いに行き、そのあとドームに自転車で行った。流石にペダルが重く、歩道橋の階段も青息吐息、おまけに席は最上階の席、いやはや席に着いたときは、へとへと。喉が渇いたので一気飲みしたビールがきいたのか、疲れがどっとでたのか、面白くない試合展開に飽きて、ほとんど居眠り。ああ、早くうちに帰ってベットにもぐりこみたいと思えど、連れ合いは帰るとなかなか言わず、退屈と眠気のファイターズ見学だった。
一生懸命応援している人をうつろな目でみて、こんなに面白くない試合でも、夢中になれるなんてすごいなあと思いながら、横にいた姉ちゃん3人組のケバイ化粧や、服装を感心しながら横目で見、パクパクと美味しそうに次から次へと食べる食べっぷりなど秘かに見学し、野球など殆んどみていなかった。一体ぜんたい何しに行ったもんだか。
ま、連れ合いのお伴ということで、熱烈フアンの皆様ごめんなさい。
今日は今日とて、これまた孫5人が勢ぞろいし、10人での晩御飯、なんとお米7合炊きました。
ここ最近の目白押しの行事に加えて、寒い日があったりして、元気印の私も少々風邪気味で、テンション下がっている。
でもないか、孫達を笑わせ、ホントにあーちゃんは面白い!と今日も褒められた?2歳児にもおお受けで、ケタけた笑うのが可愛くてつい乗りすぎました。そして、へとへと。明日は、ゆっくり過ごそーっと。