夏休み終了

孫2人が早めに道東に帰り、日曜日には2週間滞在した福島の中学生2人が帰り、昨日から小学校の2学期が始まった。私の休暇も終わり、今日から蓬ほう開店。
今日も楽しい出逢いの日になった。
ランチのあとで食育の講演会にいくというお母さん達、まさにベストタイミングで「こんなお料理を食べると食育につながるのね」と。
難しいお料理ではないから、誰でも作れるよと言ったけど、本当に皆さん何故か「無理」とおっしゃる。そうかなあ、心は込めるけど、手が込んだお料理ではないんだけど。
ちなみに今日の献立は、雑穀豆入りご飯、すり身の汁もの、ズッキーニとグルテンの揚げ物、ゴーヤの白和え、黒千石と玉ねぎ、パプリカのサラダ、しゅん菊の胡麻和え、ジュンサイの酢の物、インゲンのエ胡麻味噌のせ、キュウリと大根の漬物、ブルーベリーの寒天、塩豆腐のシソのせ、生冷麦、プルーンと山ブドウの自家製酵素。ね、主婦なら誰でも作れるお料理ばかりでしょ?と思うのですが。
でも、喜んで下さる方がいてこそ私も作りがいがあるので、これからも一生懸命楽しんで作らせていただきます。
福島からホームステイにきた2人が、最初に私の蓬ほうランチを食べてくれた時、果たして中学生の口に合うかしらと思っていたら、帰った後、ホームステイノートに書いてありました。「あーちゃんのランチがおいしかった」と。ああ、嬉しい。
2週間、たった2週間放射能を逃れて札幌で暮らした2人の中学生、震災以来沢山の不安と恐怖を抱え、初めて会う家庭が受け入れてくれるか、など沢山の不安な思いを持ってやってきた。
まだまだ連れていきたいところもあったし、話しておきたいこともあったけど、2人は楽しい思いでを胸に札幌に帰る場所があるときっと思ってくれたことと思う。
孫達とは一生親友でいようと約束したらしい。
でも、福島に帰って、また家に閉じこもる生活、放射能に恐怖する生活、すべて我慢の生活に戻る事を考えると、本当に切なくなる。
絶対にまた来ると帰っていったリほとみそら、いつでも逃げておいで。
3月にいわきから避難してきたsさん一家の爺ちゃんと婆ちゃんが2人でいわきに帰って行った。
あの不安だらけの汚染された所に。
又来るよ、とは言っているけど、爺ちゃんが庭もないコンクリートの中でもうアップアップの状態だったから、仕方がないかなあ。
こんなとき、女は順応性があるし、家事や外に出歩いてすることを自分で見つける。しかし、年寄りの爺ちゃんには、何もすることもなく、この5カ月どんなに辛かったことか、たまあに、我々があちこちお連れしたって、ほんの気休め、それでも行かないよりはいいかと思って、これからも、あちこちに一緒に行こうねと言っていた。婆ちゃんが「こんなに世話になって、福島に帰ったら、何か送りたいと思うけど、汚染されてるから何も送れないわ。ずっと前に作った琵琶酒や色んな焼酎漬けが室にあるから、それなら汚染されてないからどうだろう?」と言った。
「ばあちゃん、それなら喜んでいただくよ」
考えてみると、震災がなければ出会わなかった人達が、今は親子のような親密な関係になっている。
何もない部屋で6人が寒さと不安で震えていたときからのお付き合い。
これも縁だなあとつくづく思う。爺ちゃん、婆ちゃん、少し故郷で骨休めしたらまた帰っておいで。こっちで楽しみ見つけて、長生きしてね。ほら、爺ちゃんがまた行きたいと言っていた、喜茂別の双葉小学校にまた行こうよ。ニセコや有珠にも行かなくちゃね。何より、私達の大好きな爺ちゃんと婆ちゃんに会えないのは寂しいよー。
意を決して避難してきた人達が、結局また危険な場所に帰っていく、続々と避難してくる人の中で帰る人もいるのが現実です。
何か、日本は大きな間違いを犯しているのではないだろうか。
目に見えないからといって、このままでいたら、大切な将来日本を背負ってたつ子供達がどんなことになるか、チェルノブイリの子どもがいまだに苦しんでいる現実を知らないのか、ベトナムで50年もたつのに枯れ葉剤が孫の代で、まだ奇形児が生まれているという現実をしらないのか。ま、これは放射能ではないけど。政治のことはよくわからないけど、危険が国民に迫っているのに、あまりにも現実逃避ではないのか?
福島の多くの家族と接していて、日本は彼らを見殺しにする気かと本当に切なくなる。
私の力は微々たるものだけど、彼らの苦悩を近くで垣間見ている者として、多くの方にこの現実を知ってほしいと願っている。何か出来ることがあるはずと思うから。
今思い出した。日本国民が多額の寄付をした日赤という組織、母も日赤の会員で生涯にわたりボランティアしていたから、決して悪い所とは思っていないけど、何故、避難者が性急に必要な家財道具を直ぐに渡せないのだろう?
息子はたかが中小企業の若造なのに、直ぐに困っている人の家財道具をプレゼントできた。
それなのに、沢山のお金がある所が、6点セット(洗濯機、掃除機、炊飯器など)を渡しますから申し込んでといって、申し込んでから2カ月もたってやっと避難者にわたったという。これって何?その間どうしろと?やってくれるのは、有難いことだけど、2カ月もの長い間、書類はどこをどう回っているのでしょうか?知りたいなあ。
これってどなたにお聞きしたらいいのでしょうか?
多分、新聞にもテレビにもこんな報道はされていないから、多くの人は知らないことだと思う。しかし、実際に6月の初めに申し込んだ被災者の方が、やっと8月に連絡がきて届きましたとあきれ顔で言っていた。ああ、日本っておかしい。いいのか、こんなんで。