有珠へ

先週金曜日、ポロコという雑誌の取材を最後に盆休み10日間の始まり。
札幌の墓参り4か所終了後、小樽の実家の仏さんまいり、余市の柿崎で早い昼食。
なんたって総勢12名、爺ちゃんの財布から諭吉さんがまず1枚さようならー。また来てねー。
下のお店で、食材調達し、私の財布からも諭吉さんがさようならー。また来てねーーー。
ここで余市産の桃1箱ゲット。なんと16個も入って980円!とい驚きの安さ。この桃は、ジューシーで本当においしかった。機会があったらまた買いにいきたい。
積丹の来岸というところに実家の先祖のお墓がある。かっては山の中にあって、まるで登山みたいにお墓参りしたけど、今は来岸の海を一望する小高い所に建っている。
うちのお墓に先客がいて、小さなタッパーにお赤飯と煮物が入っているのをお供えしているご夫婦。「どなたでしょうか?」と尋ねると、実家の村田と同じ名前を名乗った。聞けば親せきらしく、彼女のお爺さんが、私のおじいちゃんに昔、一方ならぬ世話になったと聞いていたので、毎年お礼にお参りさせてもらっているという。
お爺ちゃんは、困っている人がいれば損得抜きで助けていた、その額は相当のものだった、そして殆どは、戻ってこないお金で、その金があったら豪邸が建てられた、等とお婆ちゃんがいつも言っていた。
私の知っているお爺ちゃんは、とってもダンディーで、大国屋というデパートでお誂えで、白の三つ揃え、白のハット、にコンビの革靴、そしてステッキを粋について颯爽と歩く姿。財布の中にはいつもお札がパンパンに入っていた。
決して贅沢ではなかったけど、家にはいつもお客さんがきて、おじちゃんは惜しげもなくその財布からお札を出していた記憶がある。多分、お墓で会った縁戚のお爺さんも、何かで困った時助けてもらったのだろう。そして、時を経て、その孫がお墓にお参りしてくれている。
もう何十年も来岸のお墓にかよっているけど、知らなかったことだった。
お爺ちゃん、嬉しいねとお墓の爺ちゃんに心の中で言ってみた。
さて、余別のお墓まいりも済ませ、今期のお墓まいりすべて終了。
いつもは余別の海でおカムイさんを見ながら泳ぐのだけど、今年は雷電の海にした。
去年は服のまま泳いだけど、今年はそんな元気もなく、生前の母は、何歳まで泳いでいたっけ?と自分の年を初めて意識した。
連れ合いは、泳ぎ疲れた子供達とカニとりをして遊んでいた。
郡山の子達は、息子に連れられ深いところまで泳いで、あんなに深い海で泳ぐのは初めてだと嬉しそうに言った。なんたって8人の女子は、食べる時以外はしゃべって笑って大忙しだ。
つられて2人も楽しそう。
岩内まわりで、途中温泉に入って有珠の家に着いたのは、9時過ぎだった。
女の子だけで2階に寝かせたけど、そりゃあ、楽しいさ、疲れているのに夜遅くまで、笑い声や、歌う声が響いていた。
有珠滞在中は雨模様で畑の草取りが思うようにはかどらない。郡山の子と数人が入江貝塚や、噴火跡など見学に行き、残った組で小雨の中、草取り作業。私はもっぱら飯炊きおばさん。昼食は採れたてトウキビとジャガイモ煮など。トウキビも20本が甘くておいしくてあっという間に消費される。
夜はテラスで焼き肉や魚、そして隣婆ちゃんから頂いた採れたてホウレンソウ。なにもかもがおいしい。
子供8人、何が面白いのかみんな大笑いしている。それを大人4人は部屋から眺めながら幸せな気持ちでビールを。2泊3日、体は多分、相当ガタガタ。帰宅途中恵庭の温泉でゆっくり一休み。
しかし、あれから2日たったのにまだ目がショボショボ。
昨日道東に2人帰り、5人はキャンプに出掛け、かなり静かになり、街のホテルでバイキングでもと思ったけど、残念ながら1人がお腹が痛くて出かけられず、時ならぬ1人の時間、貴重な1人の時間がやってきた。
わーい!と思っても出かける元気も本を読むげんきもなく、ひたすらぼけーっと過ごす。
ああ、至福の時!
そうそう、私の留守中孫に鹿児島の紅芋タルトを手渡しして下さった方、どなたでしょうか?
孫は、名前を忘れてどなたか見当がつきません。おいしくいただきましたが、どなたでしょうか?
鹿児島ってもしかしたら?シーちゃん?かしら。と思ったり、いやあ、違うかと。ともあれごちそうさまでした。おいしかったので、直接お礼をいいたいのですが。