インドの息子

10年前我が家にやってきたbは、褐色の肌に真っ黒なモジャモジャ頭と髭ぼうぼうでメガネの奥の瞳が輝いていた。
灼熱のインドでどうやって手に入れたのか、黒のロングコートを着てやってきた。
初めての外国が日本、しかも北海道の我が家。初めてみる雪に驚きながら寒さに震えていたbは2カ月も共に暮らした。
いくら洗濯物を出しなさいと言っても出さないので、無理やり脱がせた事もあった。
せーターの下のシャツは穴あきだらけで、それをみて直ぐに下着を買って着せたっけ。
言葉はとんでもないアクセントの英語なので、ほとんど通じなくて、でも、なんとなく身振り手振りで意思疎通ができた。
bのおかげで言葉はたいして問題ではないという学びをしたような気がする。あれから10年、フイリッピン人と結婚し、東京近くで職を得てくらしていたbが故郷インドに帰って行った。
時間がなく連絡が遅れたけど、本当に色々お世話になりましたというメールを成田から息子あてによこしたときいて、私は不覚にも涙が溢れてしまった。
bの息子にもまだ会っていないし、奥さんのアニーにも芋サラダを教える約束が叶えられていないし、何より息子同然のbにまた会いたかった。日本にいるうちはいつでも会えると思っていたけど、インドはあまりにも遠い。bや、日本の母さんはいつでもbのことを思っていたんだよと伝えることも出来ない。しばし感傷にふけっていた私に、yっちが言った。「あのね、tが秋にインドに行くんだって」オオ、そうか、私も可能性はあるか。
インドに行ってbに会おう!そう思ったら急に元気になった。
なんだ、こっちから会いに行けばいいんだ。もう涙は渇いた。
6月、夢だった外国の子供達に会うというのが叶った瞬間、心から感動した。
12年前我が家で初めて受け入れたホームステイ、それが台湾人のモンだった。
12年ぶりにあったモンは体も一回り大きくなっていたけど、会社を興し社長として大きく成長していた。ホテルのそばの茶芸館で、話に花が咲いた。かなり上手になった日本語と英語で、なんとか会話は成り立った。
お別れの時、まるで映画のように、ハグして「モン、アイラブユー」「お母さん、アイラブユウ、ツウ」とひしとハグしあった

さあ、今度はどの国の子どもとハグできるかなあ、楽しみだなあ!