フアンクラブ解散

連れ合いの古ーい友人の門さんが亡くなった。
15年前急性悪性リンパ癌にかかり、本人より私の連れ合いが動揺し、友達の一大事に、私に自然療法でなんとかならかと言った。奥さんと会い説明し意志を確かめてから、お互いの協力のもと病院に入っていても出来る事を始めた。
毎日自転車に温めたこんにゃくや、野草茶をポットに入れて病院に運んだ。蓬を採ってしぼり汁も飲んでもらった。無菌室に入って死ぬような苦しみの後、無事生還した。
本人は色々やっていたから、生還できた、奥さんのおかげだと何度も頭を下げてくれた。
でも助かったのは、彼の生命力の強さと素直さだったと思う。
いいということはやってみようとあのとき彼は言った。自然療法の力も確かにあったけれど、彼は運の強い人だった。
あれからもう15年もたってしまったなんて。
何度も病室に通い、連れ合い以上に友達になり、あれからは、年に数度しかあわなかったけど、大好きな人だった。
いつか、事務所にたづねて来てくれた時、たまたま義妹がいて、彼は自分の病気になった時のことを漫才みたいに笑い話にして話してくれた。その話が面白くて面白くて、お腹を抱えて大笑いした。お笑いの才能あるから職業間違ったんじゃない?といいながら、私と義妹と二人で「門フアンクラブ」を結成した。彼の所に行くたびに、お笑い会してと頼んでいたのに、ついに叶わぬまま、彼は逝ってしまった。
あの類まれな天性のお笑いはもう聞けないので、フアンクラブは解散せざるを得ない。
今夜彼の遺影を目にしたとたん涙が溢れた。生存率5パーセントと言われた病気を何度も再発しながら、15年も生き延びた彼に拍手を贈りたい。
門さんと会えないのはさみしいけど、私ずっとあなたのフアンですよ。
祭壇の花が揺れて、確かに門さんはニコッと笑ってくれた。
花揺れたね、と言ったら連れ合いは「おれは見なかった」でも仲間の一人が「そう、黄色い花が風もないのに揺れた」と。
門さん、15年も長い闘病生活本当にお疲れ様、会えばいつも笑顔で「奥さん、あんたのおかげだよ。シゲ、奥さん大事にしろよ」といってくれた優しい門さん。
あの笑顔は忘れません。ありがとう。大好きな門さん、さようなら。