仲間達

昨日、乳母車を押したお母さんがほう「蓬ほう」にいらした。
散歩中、喉が渇いていたので店の看板を見てきたのだと。
初めてのような、どこかでお目にかかったことがあるような・・・。
話していてわかったことは、今日行く予定だった先日とは違う老健施設のヘルパーをしている方だということ。ああ、だから、会ったことがきっとあるのだろう。
ご主人も同じ職場だそう。
3月11日に生まれた赤ちゃん、震災の日に生まれた赤ちゃんを抱いて、そうか、君はその日に生を受けたのかと、しみじみと新しい命の誕生に感謝の念が沸いた。
大勢の亡くなった人と、バトンタッチをして生まれてきたこの赤ちゃんはきっと素晴らしい人生を歩くに違いない。生まれてくれて本当にありがとう!きっと、お母さんを導いて私の所に来てくれたのね。
そして、彼女の勤め先の老健施設へ今日の午後行ったら、ノロウイルスのため、音楽ボラは中止とのこと。
1年間病気で休み、今日が再スタートの仲間を含めて7人の仲間達、蓬ほうでお茶しようよと誰かが言いだして、そのまま蓬ほうに移動する。
まずは、仲間全員が揃ったことへの感謝の乾杯!
1年間病と闘い、やっと健康を取り戻した仲間えぐちゃんは、以前と変わらぬ優しさと暖かい微笑みで「皆さんの励ましのおかげです」私と同じ年のエグちゃんは、出会ってから20年以上たつけど、いつも、笑顔で決して人を悪く言わず、常にポジティブな考え方をしている人で、私はえぐちゃんって素晴らしい人だなあと常日頃尊敬していた。だから、彼女が病に倒れ弱気になった時、できる範囲の事をさせてもらった。こんなに良い人でも病気になるんだなあと何か腑に落ちない気持ちだった。
1年間つらい日々だったろうに、その辛さを見事乗り越え、今またボランティアを心から楽しんでいる。
また一緒に歌をうたっていける喜びに、仲間たちみんなが喜んで楽しい時間を過ごした。
1か月に1度しか会わない仲間、そんなにベタベタした付き合いではないけど、一つ事を共有する仲間は、すがすがしく本当に得難い仲間達だ。
いい仲間を持って幸せだなあとつくづく思った1日だった。

昨日の朝、呼吸が一時止まった義兄は、持ちこたえて夕方お見舞いにいったら、普段と変わらない姿だったので、一安心。
筋委縮性塞索硬化症という難病の義兄は、体の自由を奪われ、意志の疎通を断たれ、ただただ、ベットに横たわるしか術もなく、おそらく、色々思うことはあろうに、一切の会話も断たれて数年。
最初の数年は、私の冗談に笑って反応してくれていたのに、もう何の反応もなく、それでも冗談を言うことに無力感を覚え、いつも悲しい気持ちを押し殺して病院をあとにしていた。
もはや、命の灯も消えかかっているいま、やせ細った義兄の頬を撫ぜなぜしながら冗談を言った私に、義兄の目が笑ったのを今日はっきり感じた。
あんな姿になっても人は生きなければならないのだろうか、義兄が生かされているのは、どんな意味があるのだろうか、などと、呼吸が止まったときいたときに色々考えたけど、お兄ちゃん、ごめんなさい。意味なんかいいよね。
お兄ちゃんが生きていてくれるだけで、嬉しいよ。
今日、私の冗談に確かに心で笑ってくれたよね。
ごめんね、ちゃんと、感じて、わかっていたのに、私がわからなかったんだよね。ごめんね。
夫のお兄ちゃんだけど、いつも、私をかわいがってくれたお兄ちゃん、大好きだよ。
お兄ちゃんが生かされている意味なんか、もういいよね。だって、今、お兄ちゃんは確かに生かされているんだから。