我が祖父

お爺ちゃんの名前は村田為吉、50年前に他界した。
積丹は余別の出身で、生涯水産業に従事し、小樽漁業組合長として幕を閉じた。
かなりのやり手で、その当時漁業関係者で知らぬ人はいないくらいの人だったらしい。
日本の漁業のトップと目されていたが、体が弱く、あいにくトップにはなれなかった。いつも寝込んでいた。
冬には伊豆のいずみ荘に湯治にいっていた。
東京の出張の帰り、お土産にバイオリンを買ってきてくれて、私は小学校1年生からバイオリンを習わされた。バイオリンの勉強だと言って、あの当時のキャバレーに連れて行かれ、お姉さんたちにかわいがられた覚えがある。生のバンドの中に、バイオリン弾きがいて、勉強になるということらしかった。
小樽の大国屋というデパートで、最高級の生地でズボンを作って貰ったのは、中学に入学した時だった。生地がいいのと、体が成長しなかったので、大人になってからも愛用していた。
こうやって書いていると、次から次へとお爺ちゃんとの思い出が蘇ってくる。
仕事には厳しかったが、人望厚く、義理人情の篤いひとだったので、応接間にはいつも人が絶えなかった。お金の融通も、頼まれれば決して嫌とは言わなかったらしく、死後、祖母が「あれだけ人にお金を融通したのに、一銭もかえってこない」とぼやいていた。
あの当時ケーキなどめったに食べられなかったのに、我が家にはケーキやカステラがいつもあった。財布の中は札がぎっしりだったっけ。肩もみをしてはほめられて「いい子だいい子だ」といってくれた。尊敬もしていたし、大好きなお爺ちゃんだった。
先日、次男の主催する「ようこそあったかい道」の打ち合わせに行った時、彼の姿とお爺ちゃんの姿が重なった。
今まで1度もそんなふうに思っていなかった。私の血より夫の血の方が濃いと思っていた。
それなのに、突然お爺ちゃんが浮かんだ。
そうか、お爺ちゃんの血かと意外な感じだった。
もしかしたら、お爺ちゃんが彼を導いているのか?
そういえば、なんとなく全体の感じが似ている。
お爺ちゃんは本当のお爺ちゃんではなく、実の父の兄だから、おじさんになるのか。
でも、血は受け継いでいるから、似ていてもおかしくはない。
次男が熱く語る姿に、ああ、お爺ちゃんがここにいると感じた夜だった。
日曜日、三味線で上湧別に朝5時に出発し、帰りは10時という強行軍をこなし、月曜日は教育文化会館での孫の三味線の着付けにつきあい、夜、次男の会社での会議。半分寝ながらの会議は長引き11時半やっと終了。
疲れはまだ引きずっている。やはり、若い気しても、体は正直だ。
明日は、五薫のベジタリアンの方の予約が入っているので、ちょっと緊張している。
五薫とは、玉ねぎ、長ネギ、にら、ニンニク、ラッキョウ等を食さない人のこと。
今夜は子供4人預かったので、大騒ぎ。1人はお迎えが来て帰ったが、3人の孫はやっと寝た。
よその孫をあづかるのは、やはり気を使うわい。
でも、また来てもいい?といってかえっていったなつきちゃんはかわいかった。
私はあーちゃんだよといっても、何故おばあちゃんがあーちゃん?と最後まで納得せず、じゃあ、おばあちゃん、さよならと言った。