ようこそあったかい道本番

 昨日は睡眠時間3時間。なのにエネルギーが満ち満ちていた。さあ、本番。
いつの間にか、料理担当責任者にされて、えーーと思いながら、息子の少しでも手助けになればと母ちゃんはけっぱりました。
そして、沢山の皆さんの熱いあったかい気持ちが後押ししてくれました。
芋もち担当の民ちゃん、石狩鍋担当のなおちゃんそしてyっちやその仲間達、居酒屋シオンのfちゃん、大学生の可愛い男の子、手稲から寝ているところを拉致されてなぜかここにいるという働き者のおばさま、異色のメンバーで100人分の芋もちと石狩鍋は想像以上の大絶賛!
民ちゃんと私の漬物も大人気!
何もかもがおいしい!と涙ぐんで食べて下さった被災にあわれた方々。みなさんが「本当にありがとう、おいしいこんなあったかいごちそうを久しぶりに食べた」と言って下さって我々飲食班は大感動。
前日眠れなかったのは、殺風景な会場のテーブルにランチョンマットをひいてお花を飾ったら、きっとあったかい感じになるだろう、とかお茶は野草茶を暖かくしたほうが喜ばれるのではないかとか色々頭にうかびなかなか寝付かれなかったのだ。
皆で刻んだ野菜と父ちゃんが切ってくれた鮭、皆の本当に暖かい思いいっぱい入った石狩鍋は、本当においしかった。なおちゃんの手作り味噌も更においしさを引き立たせてくれた。
送迎担当の面々も大活躍、お運び担当のうちの孫達も積極的に働いてくれた。
何より、来て下さった119人の東北の方々とのふれあいが嬉しかった。
みなさんが、この未曽有の震災を詳しくはなしてくれて、一緒に涙する場面もあった。
北海道でこんなに暖かいおもてなしを受け本当にうれしいと皆さんが喜んで下さった。
このお味噌美味しい!と言って下さった方に、少しだけ分けて差し上げたら、涙を流さんばかりに喜んで下さった。
色々な方がたと積極的にお話しをして、報道だけでは伝わってこないことも聞かされた。
来道してきて、何もない部屋に戸惑った人も多く、だからこそ今回のような、無料で提供してくれるこんな催しが、どれだけありがたいかと皆さんが口々に言っていた。
住んでいた所が熊沢、名前も熊がつき顔まで熊みたいと奥さんがいうおじ様は、福島弁丸出しで冗談ばかり言って私をからかい、奥さんは「福島の人間がみんなこんなだと思わないでね」ですって。
ほんのひと時でも冗談を言って笑いあえて触れ合えてよかった。
私が皆さんと話し込んでいるのをみていた仲間達が「あーちゃんのあの誰とでもすぐに打ち解けて話せるのはあれは、特技だね」といっていたとあとで聞かされた。
そうか、特技か。
でも、今回は皆がきっちりサポートしてくれたから、私は色々な方々とふれあえたのだと思う。ありがとう、私の仲間達。そして、悲しみの中で打ち解けて話して下さった方々、本当にありがとうございました。
少しでも皆さんの気持ちが楽になるお手伝いができて、私たちも本当に幸せです。
準備もいれてこの数日、かなりきつい時間ではあったけど、充実した楽しい時間でした。
なんて無茶な企画と思ったけど、息子はやり遂げました。
やっと「あんたは凄い!」と褒めてやれるようになりました。
いつも、愚痴をきいてくれていた民ちゃんが言いました。「誇りに思える息子を持って幸せね」と。
はい、ありがとう、と素直に言えます。
今回のこの企画で、沢山の方の笑顔に出会えて息子も達成感でいっぱいだったことでしょう。夜遅く
全作業が終わった息子は「今日はありがとうございました」とお礼を言いにきてくれた。
これで終わりにはできない、来て下さった人達のアンケート用紙を見て、従業員達が感動してないたとか、また、是非やってくれとの要望が多く、このまま一回で終わりにできないから、近いうちに第2段を企画する、と。ああ、なんて熱い男なんだろう、誰の血なんだろう?
でも、突き動かされるというのは、私にもわかる。
日本人として、仲間達が苦境にたたされ、しかも北海道を選んで来てくれて途方に暮れていると知ってしまったら、もう後には引けない。自分の仕事ももちろん大事だけど、彼のようなリーダー的な人材が今必要とされているのだから。
親として、ご飯位はつくれるから、また、けっぱるか!
一晩ぐっすり寝たけれど、顔ははれ上がり、体は重い。でも、心は軽くなんとも爽快だ。
体はそのうち回復するでしょう。さあ、今夜もぐっすり寝てきたるべき時に備えましょう。
昨日、「ようこそあったかい道」に参加してくださった皆様本当にありがとうございました。そして、沢山のボランティアの方も、本当にありがとうございました!