yっちの叔父さんが亡くなり、夕べ御通夜に行ってきた。
現役の医者だったので、かなり大きな葬儀だった。医者だった彼は自分の命の限界を知っていたから、尚更に労しい。
yっちと親子になる前からご縁のあった方だった。しかも奥さんは、中学、高校時代、私の親友と同じ寮で同室だったというおまけまでついて、そんなにお会いする機会もなかったけれど、素晴らしい人間性の持ち主という事は、親しくお話してすぐにわかった。
医者という職業を使命として、沢山の患者さんから信頼され、こよなく音楽を愛し、仲間や全ての人々に癒しを与えて惜しまれながらついに旅たっていかれた。
1ヶ月ほど前、yっちに「こんなはずじゃなかった」と言ったときいて、そうだよね、誰しも不治の病に冒されたらそう思うよねと彼の心中を思って祈るばかりだった。
限りある命、自分では終わりを決められない命、もう少し生きたかったという命の終わりに出合うたび、今日一日を悔いなく生きたいと改めて思わせられる。
ラジオを何気なくきいていたら、「武士は今日一日生きて死んでいく、明日はまた新しい命を生きる」というようなことをいっていた。武士道とは死ぬ事なりというのはそういう意味だったのか。
200以上の花輪や千人以上のお悔やみにきた人々の中で、彼の生き様を見た思いだった。

昨日、mちゃんから誘われていた「トーン」というカフェにに行ってきた。たまたま朝電話をくれた友達も誘って4人で行ったそこは、北大農場の牛の放牧じょうが目の前に開け、手稲山が臨め最高のロケーション。
古民家を改装したおしゃれなカフェ、私の波動にぴったりの空間、そして、オーナーに紹介され話しているうちに、繋がっていた!以前どこかで会っていたような気がしたのが、的中。ああ、そこで繋がっていたのねとお互いにやっぱりという感じだった。話すほどに、あちこち繋がりまくりで、一緒に行った友達はビックリして目を丸くしてた。
なんで、行くとこ行くとこそんなに繋がっているの?と。うーん、私にもわかんないけどね、本当に面白いねえ。
mちゃんは、ある日私と話していて、あそこに連れて行きたいとピーンと閃いたと言っていた。
mちゃんは、息子の幼馴染で、孫の友達のお母さん。でも私のお友達。
テンツクマンを教えてくれたのも、彼女。
とっても楽しい時間を過ごして、またこのメンバーで会おうねと約束した。
沢山の気付きの一日だった。