映画 天国はつくるもの

ヤッター、てんツクマンの映画「天国はつくるもの」無事上映!
Oさん宅の居間に集まったのは、30人弱。そのうち子供は9人。子供達に伝えたかった映画なので、9人も来てくれたのは嬉しかった。まるで、映画館のようなプロジェクターというスクリーン、ついこの前まで、プロジェクターなんていう単語も分からなかった私。Oさんもよく引き受けてくれたなあと本当に感謝でいっぱい。知らない人が30人も家に押しかけて、心が広くなければ出来ない事だった。
観るのは2度目なのに、またも涙、涙。なんという感動する映画なのだろう。
多分、皆、泣いていたのではないだろうか?観終わり、カーテンを開け、明るくなってみたら、うちの5年生の孫娘が、おいおい泣きじゃくっていた。それを見て、私もまた涙。m助産婦さんに、挨拶をお願いしたら、子供達の観ている後姿に感動しました、と話してくれた。
9人夫々の心に何か響いた映画だった事だろう。孫は、彼女の抱えている境遇を考えれば、溜まっていた涙がこの映画を機に、一気に噴出したのだろう。人前で、あんなに泣けて、私はちょっとホットした。きっと、何かが抜けたのかもしれない。今日聞いてみたら、すべてに感動したと言っていた。
4年生の孫は、あっけらかんと、「あんなふうに、赤ちゃん産みたい。吉村先生に会ってみたい。まき割りしたい」という感想だった。
うちの孫達は、7人のうち5人が自宅出産なので、赤ちゃんが家の中で、自分のすぐそばで生まれるということが、当たり前のことととらえている。生まれたての赤ちゃんを、まだへその緒がついたままで、抱っこしたり、命の誕生が、生活の一部になっている。
それでも、あの映画の出産シーンには、新しい感動があったようだ。
そして、癌や障害などを克服して、ホノルルマラソンを走る人たちの、あの姿に純粋に感動したようだ。
若いお母さん達が、保育園で上映したいと言ってくれたのも、嬉しかった。お母さんの癌を、自宅で介護しているsちゃんにとっても、大きな励ましになったことだろう。そして、癌から生還したtさんも、よりいっそう力を貰ったことだろう。
お医者さんのyちゃんも、お父さんが今癌と戦っているので、まさに、ベストタイミングでこの映画にであったようだ。ここに集まった人たちは、本当に縁で結ばれているなあと、夫々のお顔を拝見しながら、強く感じた。
うちの夫のように、とっても興味あるのに、一歩が踏み出せずに結局見れなかった人もいる。
長男が「父さんにこそ観てもらいたい映画だった」といった。
ある60代の男性は、何かしたい、何か変わりたい、でも、人前で泣く姿を見られたくないと言った。観たいけど用事でこれない人たちもいた。なんだかなあとあまり興味を持たない人もいた。
そんな中で、集まった30人弱の人は、人のため、地球のため、そして何より、自分のためにこれから、自分なりの一歩を踏み出す勇気を貰った映画だったのではないかと思う。
何よりも、一歩踏み出した私が一番幸せ!
次はあなたの番よ!
私が一歩を踏み出せたのは、協力サポーターのOさん夫婦やmちゃん、そして集まってくれた皆さんのおかげでーす。有難う!有難う!本当にありがとう!

先日、原大輔さんのディナーショーにnちゃんと行った。
数年前にも二人で見に行ったので、内心、連れ合いと行くより、nちゃんと行きたいなあと思ってはいたけれど、券を買ったのは連れ合いだし、ま、それもいいかと思っていた。いやいや、その日、nちゃんが用事で我が家にやって来た。連れ合いが、換気扇の下でタバコを吸いながら咳き込んだ。
「あらあら、随分咳が出るねえ。風邪でもひいたかな」「なんか、咳出るし、昨日の今日だし、俺行きたくないなあ。Oさん行くかい?」ヤッター!nちゃんと行ける!「私、すぐ帰る」とnちゃんはすっ飛んで帰った。というわけで、私が願ったように、nちゃんと二人でステキな原大輔の歌を堪能したってわけ。
nちゃんいわく、「お父さん、私を行かせるために、あんなふうに言ったんだよ。なんて優しい人でしょう」ほんと、なんて優しい人でしょう。
居酒屋をやっているfちゃんに、cdを買ったのでfちゃんの所に寄った。nちゃんの父ちゃんも呼んで3人で仲良くビールでかんぱーい!と最初は楽しかったのに、店のお客さんの一人が、事あるごとに絡んでくる。なんだろう?この絡みは?お酒を持った手から彫り物が見えた。あらあら、立派な彫り物ねえ、痛くなかった?などといいながらも、更に絡んでくる彼に、私たち3人は、なんだか彼が愛しくなった。私は彼を抱きしめた。なんじゃ?といいながら彼は、言葉とは裏腹に嬉しそうだった。そのとき、彼の目に涙が浮かんだのを私は見てしまった。
ああ、寂しいんだ。寂しくて寂しくてどうしようもなくて、あんなに人を傷つけるような事ばかり言うんだとはっきりわかった。出てくる言葉尻ではないその人の内面をみるという事は、こういうことなのだと思った。心地よくはないけど、寂しいよーという叫びがきこえたので、何を言われても腹はたたなかった。
今私は、うーん、人にはそんなふうにできるのに、なんで夫にはできないんだろうと思っている。
出てくる言葉に右往左往して、言葉に取り込まれる私に、あの彫り物入りの彼は教えてくれたような気がしている。人の出会いというのは、パズルのようなもの、あとで、ぴったり当てはまるときがくるとてんツクマンは言うけど、まさに、そのとおり。人との出会いで、気ずくことばかりだ。