姉妹

私には姉がいる。生まれた時、兄と姉がいたが、故あって親戚の家に貰われていったので、生後9ヶ月だけ、兄弟として暮らしたらしい。赤ん坊だった私にその記憶は全くないが、兄と姉は、赤ん坊の私をとっても可愛がったらしい。だから、兄弟ではなくなった時、親を責めたと聞いている。
貰われていった先は、母親になったのが、私のいとこなので、全くの他人ではない。
その家には、私の存在が必要だった。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、父と母、その中で私は相当大事にされ愛情もたっぷり貰った。金銭的にも恵まれていた。そして、物語のように、10歳の時、絶対不可能といわれていたのに、母のお腹に生命が宿った。そして生まれた妹。11歳離れているので、私が結婚した時は、まだ小学校6年生だった。妹は成人するまで私たちが本当の姉妹ではないということを知らなかった。
私も、中学卒業するまで、自分が養女だとは知らなかった。まだ幼かった私は、相当悩んだ。その悩みは8年も続いた。お婆ちゃんが、妹が生まれたことで、私に対する態度を変えたのも、悩みの元だった。子供心に相当のダメージを与えたいじめは、母に分からないように、陰湿だった。
祖母を恨み、家を離れたいと横浜の短大に行き、卒業後も家を離れる事ばかり考えていた。そして、縁あって嫁いだ所は、私が生まれたところのすぐそば、嫁いでいた姉も近所だった。
そのことだけで、母はこの結婚に大反対した。私を捨てるのか、まで言われたが、父が娘の幸せを考えてやれと後押ししてくれた。母は結婚式の前夜まで、離したくないと泣いていた。ま、そんなこんなで、私の立場はかなり微妙なところにいた。産みの両親と兄、そして姉のそばに住むということで、母を傷つけたくなかった私は、近所に住む身内に距離を置いた。
時がたち、産みの母と育ての母二人が、私を挟んで、「この子を産んでよかった」「この子を育ててよかった」と二人で手を取り合って泣いた。あの時、私は生まれてきて良かったんだと心から思った。そして、4人の両親は逝き、姉とは、たまあに会う程度で、姉妹というには、そうでもないような、でも他人でもなく、なんか不思議な関係だった。
でも、今日、久しぶりに姉の家に行き、2人っきりで話をした。
姉が言った。「あんた、偉かったね。よく、病気にもならず、今まできたね」と。すべてを分かってくれての言葉だった。
初めて、ああ、お姉さんなんだなあと感じた。
両親が亡くなって、もう自分の心を開放してもいいのに、どこかで、頑なに何かを拒んでいた自分がフット解放されたような気がした。
ある時から、祖母が私をいじめの対象にしていた事が、ふっと理解できた。ああ、お婆ちゃんも、人にいえない、ストレスを抱えて生きていたんだなあと。あの家にとって、私の存在の意味の深さ、私があそこで成長することの運命的な必要性が、今はストンとおちている。
すべて、成るように成っていたんだなあと、つくづくと思う。
産みの親が亡くなって以来、私の存在を宙ぶらりんにした、姉と兄の、私に対する処し方に、心の奥底で怒りにも似た気持ちを抱えてきた自分。決して表面には出なかったけど、奥底で沸々としていた自分の気持ちが、今日の姉の一言で解放された。
二人で紅茶を飲みながら、シャンソンを聴きながら静かに語り合ったあの時間は、これまでの私の中の塊を静かに溶かしてくれた。よき日に感謝。月がオレンジ色にそまっている夕方だった。