お通夜

知り合いの親御さんのお通夜に行って来た。この年になると、通夜や葬式にはかなり出ているが、夕べの形式のお通夜は初めての体験だった。
真っ白い装束姿の祭司なる人が4人、まず、お膳に盛ったお料理の数々を祭壇に献上。祭司なる人の献花は赤い花一輪、神徒なら榊ではないのか?とまず疑問。一般の献花で祭壇の前に出た時、得体の知れない名札みたいのが、祭ってあって、よく見ると、どこどこ支部とか書いてある。これは何かの新興宗教かとそこで疑問。配られた紙に教祖 明主様のみ教えと書いてあったので、そこですべてが解明。その宗教は名前は聞いたことがあったが、詳しくは知る由もなく、讃詞と書かれた文を読んで、初めてその概要がわかった。いいとか悪いとかではなく、そういう信仰もあるのだなあと思った。
知り合いがそれを信仰しているかどうかは全く分からないし、これからの付き合いにも何の支障もないけれど、ちょっと、意外だったという感。
 
先日、ある方のお宅にお邪魔したとき、意外な話をきいた。その方は、先日伴侶をなくしたばかり。先妻が亡くなって、その家に後妻に入って25年。亡き夫と先妻さんの写真が並んで飾ってあるのを見て、猛烈に腹が立ってきたという。あの世に行って、2人が会って、仲良くしているのではないかと思ったら、嫉妬心が沸いてきたそうな。ちなみに、彼女は80歳を過ぎている。
私があの世に行ったら、亡き夫は、私の方を振り向いてくれるのかしらと心配になるという。
嫉妬に身を焦がしている彼女は、まるで少女のようだった。いくつになっても、女は女なんだなあと思った。
だいぶ前にも、夫が亡くなって、先妻と一緒の墓に入ってしまい、それでは私は何処にはいればいいのと、深く悩んだという人の話を聞いた事がある。彼女は今、老人ホームに入ってしまい、もうそんな事で悩まなくてもいい、過去の事は忘れてしまった人になった。
私のいとこは、身寄りがなく、彼女が亡くなった時、私はちょうどアメリカに行っていたので、姉夫婦が葬式をあげてくれた。そのあと、遺骨をどうするかということになり、当然、お墓と誰しもが思ったけど、なんと、生前彼女が書き残したものが、整理のとき見つかり、そこには「死んだら遺灰は立待岬の海に散骨して欲しい」と書かれてあった。
彼女のアパートの荷物を整理するだけでも、大変な仕事だったのに、我々にはそんな余裕も時間もなく「全く困ったもんだ。死んでからも人に迷惑をかけるんだから」と言い合った。
生前、いとことはいえ、年も離れていたので、そんなに付き合いもなかったが、私の母は、金銭的にも、精神的にも何かれと世話をしていたのは知っていたので、母が生きていたなら、助けてあげなさいというかもしれないと思い、荷物の整理だけは、なんとかやった。
どうしたものかと思っていたら、彼女の絵描き仲間が「私が散骨します」といってくれて問題は解決した。散骨といっても、ほんの少しの遺灰だったので、問題はなかったけれど、これが全部になれば、またかなり厄介になるらしい。
自分の遺灰を散骨して欲しければ、すべて手はずを整えて、その分の費用も残していくべきだなあと、ロマンだけではいかんとその時学んだ。そして、その人にとって大事な物が、他の人にとっては何の価値もないものになり、結局はゴミと化すと学んだ。