夢を諦めるところだった。
色々の理由の中に、ネガティブな人と一緒にいるからと、どこかで言い訳していた自分。
そんな時、テンツクマンに会った。
テンツクマンってどこかで聞いた事のあるような、ないような、と思っていたら、近所の喫茶店に、たまあに行くとそこに置いてある本が、まさにテンツクマンの本だったという事に気が付いた。
なかなか見つけられないでいた本を早速3冊買った。何故テンツクマンなのか、とやっと分かった。天国を作る人と言う意味らしい。天国はあの世ではなく、この世にあると言う事らしい。楽しく生きよう、この世を天国にしようと、それには、自分が楽しいと思う事を行動に移していこう、動けば変わる、本気になれば、不可能も可能になる、すべては繋がっている、出会いはパズルのようなもの、そして出会いは力、などなどテンツクマンは強烈なキャラクターで沢山のメッセージを発信している人。根赤とか、ポジティブシンキングとか明るすぎとかネガティブな人以外の家族に言われている私だが、ちょっと最近ネガティブがうつって自分でもクラーイと思う事がある。反応の少ない人といるのは、かなりこたえる。でも、それは言い訳、ってことは、ガッテン承知のすけ。
ま、電気の球もたまには切れるしね。また新しい球に取り替えればいいんだよねと自分を肯定。テンツクさんの映画を観て、本も読んで、もう少しで諦めるところだった私の夢を、そうだ!あきらめちゃいけない、私、動いてなかったと気がついた。
年?年は全く関係ない。今私がみる夢は、若い頃には見れない夢だもの。今の私だからみる夢。
イムリーに幼馴染のO君からの電話。そこで思い出した。彼が言ったのか、違う幼馴染だったのか忘れたけれど「お前はさ、子供の頃から夢見る夢子さんだったよなあ。今も同じだなあ」と言う言葉。そうなのか?私って子供の頃からそうだったのか?
いやいや、全くワタシったら。
性分は変わらないってことかも。いいじゃん、この年でも、私は夢を諦めない!と決めたもん。

息子がさっきフィリッピンから帰ってきた。
10日の間、マニラ、ミンダナオと周り、ごみの山にも、孤児院にも老人ホームにもモンテンルパにもあの巨大なショッピングモールにも行き、スラム街にも行き、マニラ市長にも会い、ミンダナオ大学で講演もしたという。詳しくは聞いていないけれど、同行した25歳の従業員にとってはかなりのカルチャーショックだったようだ。
私はかってタイ、ベトナム、マレーシア、フイリッピンとアジアの国に行ったけど、アジアの国は、貧しさと富とが同居していてその差が激しく、行くたびに日本の若者にこの現実の貧しさをじかに見て欲しいと思っていた。自分の立ち位置がいかに恵まれているか、それこそ価値観が180度変わってしまうアジア、若者は大いに旅にでるべきといつも思う。25歳がこの体験をどんな風に生かすか、楽しみだわ。