以心伝心

何故か私と嫁のyっちとは、以心伝心というかツウカーとでもいうのか。さっき考えていた事が、yっちによって現実化するというようなことがしょっちゅうある。
昨日のこと、中古のストーブを探しに、次男の駒岡にある倉庫に見に行くので母さんも付き合ってといわれた。自然に飢えていた私の前に、駒岡までの道中、ため息の出るような紅葉の風景が広がった。いやいや、これはこれは、思いがけないプレゼント!しかも、倉庫の中で、とっても素敵な水指しをゲット。水指しは藍のちょっと掘り出しものの茶道具で、見つけたときすぐにお花を生けたらどんなに素敵だろうと想像した。今朝、水を張って、赤い菊を生けたら、見事器が輝きだした。あの倉庫に眠っているより、きっと幸せだろうと思う。一緒に行ったもう一人の嫁のmちゃんと3人で出かけるのは初めてのこと。yっちの用事で真駒内のsさん宅に寄ったら、私の顔を見るなり、待ってましたとばかり、相談事が始まった。うーん、この相談事と同じ悩みを3年前にも彼女から受けた。
ちょっと、視点を変えてごらん、と我が家にも興った家族間の考えの相違を話してみた。考えてみれば、とっても贅沢な悩み。お金が回らなければ、生じないことだから。こんなに混沌とした時代、食べるのにも苦労している人が溢れ出しているこの時代に、贅沢な悩みを持つ人もまた沢山いるんだなあ。話をもとえ、ちょっとすぐには思い出さないけれど、私とyっちのあいだには、シンクロニシティだらけで、面白いくらいだ。yっちは結婚前、息子と別れるかもしれないと私に相談に来た時「tとは別れても、おばさんとは友達でいたい」と言った。そもそも、不思議な繋がり満載なので、私と親娘になるのは、前世からの因縁だと思う。長男が「yはさ、毎朝母さんとこに来てるでしょう?ちょっと姿が見えないと思えばすぐ実家に入り浸っているんだからねえ」「だって、一日に一度はここに来ないと忘れ物したような気がするんだよね」だって。今じゃあ、息子と会わなくても、yっに会わないと、あれ、どうしたんだろうと気になる位。「今日ここでご飯食べようっと」「いえ々、誘ってませんから」「まあまあ、そんなに遠慮しないで」「そんなら、ご飯食べてもいいですか?でしょうが」「あら、そうねえ、ご飯食べてもいいですか?」てな会話はしょっちゅうだ。「yっちさ、ほんとにずうずうしいよね」「あら、これでもドキドキしながら言ってんだよ」「うそー」もう10年以上の付き合いになるけど、小さないさかいはあっても、1日で解消、大きな喧嘩は一度もないなあ。おまけに、性格は違うけど、思考は似通っているから、以心伝心お互いがよく分かる。
これって、本当に幸せだなあとつくづく思う。