ひとつの選択

義兄の病状が進み、自力呼吸が難しくなった。医者から喉に穴を開ける事を進められた家族は、相談の結果それを承諾した。兄は筋萎縮性側窄硬化症という難病にかかったと分かった段階で、自分の死を意識し、我々にも覚悟している旨語り、お礼の言葉を書き残した。そして、病を受け入れ余計な治療はしたくないとも言っていた。
しかし、言葉も表現する事も失った今、食事も口から取れず胃漏という手段で流動食に甘んじ、体も痩せ細り何を頼りに、なにをよりどころにいるのかさえ分からず、生かされている喜びを果たして感じているのか聞く事さえ叶わずただただ、ベットだけが兄の居所として、人の手にすべて委ねて生きている。
自力呼吸が苦しみの原因だったので、今は機械の助けで楽にはなった。
私もかっては、母を看取った時、あらゆることに母自身の意志を確かめるすべもなく、決断を迫られ、それがたった二人の姉妹の考えというか、人生観の相違があからさまに出て、お互いに苦悩の原因となった。
自分自身のあの懊悩した経験があるから、今、義兄の家族がこの選択をしたことに、責める気はまったくないが、こうまでして、義兄は生きることを望んでいるのだろうか、家族のエゴではないのだろうかと私なりに、思う事はあった。しかし、義兄はひっそりと今の状況を受け入れ、静に生きている姿を目にして、これでよかったのかもしれないという思いが最近はしている。
自分では決められないひとつの選択、家族の意志でいかされているひとつの命が今、確実に生かされている。