やっぱりインフルエンザ!

いったん下がった熱が、ぐんぐん上昇し違う病院へ行き検査したら、立派な新型に感染していた5年生。
それからが大変だった。家族全員疑いありありなので、保育園は休ませ、5年生は隔離部屋に一週間、接触する時は、マスク、ご飯も一人寂しく2階でと本人もストレスたまり、周りもストレスたまり、義母の13回忌にも家族全員欠席しと、ま、色々大変だった。これが風邪だからまだいいけど、疫病なんかだとどんなんだろうと考えてしまった。
息子は風邪でよかったねと言ったけど、本当にこれですんでよかった!
この夏我が家は、おたふくに始まって、夏休みの大騒ぎ、お産、ホームステイと一通りの煩雑さからやっと開放された途端のインフルエンザ新型騒ぎ。
息子じゃないけど、次から次へと色々なことがやってきて、次はなんだろう?とデンと構えられるよねですって。
一昨日、やっと収まった一連の騒ぎから開放され、焼肉屋で祝杯を挙げた。
というのも、焼肉屋さんがお客様なので、満期近くには付き合いで食べに行くのが、もう何十年も続いていて、ビーガンになった息子は、ここ数年一緒に行くことはなかったのに、めづらしく今回は参加。
めったにお肉を食べない我が家も、この日だけは思う存分お肉三昧。私も5,6切れお相伴し、後は冷麺に。ビーガンの息子は、ビールと松のみ粥。普段あまり食べない分、子供達は思いっきり食べることを楽しんでいた。息子は豚肉の部位を書いたのを子供に見せながら、ここは豚の背中だよとか店主に聞きながらひとしきり解説。
お肉を生業としている方が、お客様でいてくれることに感謝しながら、家族で楽しいひと時を過ごした。

私が大好きな忍路へ若い友達とラッキーママと3人で行ってきた。
小樽の最上町へ行く近道をしっていたrちゃんは、かなりな小樽通。でも、流石に松ヶ枝町の普通の家の軒先で売っているソフトクリームは知らなかった!知っている人は知っているマニアックなソフト屋さん。
2人は大喜びしてくれた。そして伍助沢を通って塩谷へ。
ここも私の思い出がいっぱい詰まった大好きな場所。小さな海のすぐそばに建つ真っ白なホテルでコーヒータイム。
そこに座った途端、私の目から思いがけず、涙が溢れてきた。
もう4年もたつのに、あの日の辛い思いが蘇ってきてしまった。
母が亡くなる前日、疲れ果てた私をきずかって夫が連れ出してくれたのがこのホテル。一時、海に癒されて、ぼーっとしていたあの日、同じ場所に座った私。rちゃんがすかさず、私の背中をタッピングしてくれた。
何も無い塩谷の海。でも私にとってはいっぱい思いの詰まった塩谷の海。
さあ、ラッキーママも私も大好きな忍路へ。
そうそう、塩谷の海へ抜ける前に寄った伊藤整の碑のそばで、ラッキーママが「あっ、あれ何?」と声を上げた。なんたって自然育ちの彼女は目ざといのだ。紫色に染まった野葡萄発見!
いやあ、それにしてもなんて美しい色だろう!有珠の家のそばに毎年生るので私は知っていたけど、2人は大喜び。なんでも、めくら葡萄という別名で、食べると目が見えなくなると聞いている。
食用ではないのだ。
おしょろの話は次回へ。