音楽療法

夕べ、知り合いから「東儀秀樹と古澤巌」のコンサートのチケットをプレゼントしていただき、有りがたく行ってきた。心身共に疲れていた私の体中にエネルギーが注入されたような心地よさだった。
トウギさんの鉦やシチリキも凄かったけど、古澤さんのバイオリンがこれまた凄かった。なんという卓越した音だろう!
彼らの奏でる音楽のシャワーに酔いしれたひと時だった。 

今週の水曜日、老健施設への音楽ボラでのこと、ピアノを弾いてくれる仲間がお休みだったので、付け焼刃で前日あわてて電子ピアノに向かった私。とはいえ、ピアノは習ったことも無いド素人の私。旨く弾ける筈もなく、しかも、左手のコードもすっかり忘れて動かない。実は、子供達が2年くらいエレクトーンを習っていたとき、密かに独学で練習して、左手のコードも出来たし、足まで動いた!「太陽がいっぱい」をマスターできた時には、狂喜乱舞した。「お宅のお子さんは、エレクトーンよりお外で遊ぶほうがいいのでは?」と先生に体よく拒否され、買ったばかりのエレクトーンは夫の一言で姪のところにいってしまい、あれ以来私の手も足も全く機能しなくなった。
でも、少しくらいなら弾けるかも・・と無謀にも挑戦。
虫の声、結んで開いて、おっ、出来る!左手も動くではないか。「旅の夜風」「港の見える丘」「恋の季節」譜面とにらめっこしながら、何度も諦めかけては挑戦し、ちょっとは弾けるようになった。
隣の部屋で「無理だ、無理だ、諦めろ」と冷たく夫が言い放つ。そうだよね、無理だよね。でもなあ、全く伴奏がないより、下手でも音があったほうがお年寄りも歌いやすいよなあ。
結局2時間あまり奮闘して、ま、なんとかなるかとあくまでもいい加減な私は自分に妥協。その夜夢を見た。へたくそなピアノを汗だくで弾いている夢。正夢か?
これってプレッシャーか?
朝、ハーモニカのほうがいいかもと思い直し、吹いてみる。童謡は吹けるけど、歌謡曲は難し過ぎ。これなら、ピアノのほうがまだましかと再度練習。
そして本番。へたくそながら、ま、なんとかなった。「ごめんなさいね、へたくそなピアノで」「うん、下手だな」とちょっと痴呆気味のおじ様が言った。なんと正直なご意見。
施設の職員さんが「いえいえ、ちゃんと弾いてましたよ。すごいですね」だと。うそコケーと思ったけれど、習ってもいないのに、ま、少しは役に立てたのでまず、よかった。と自己満足。
それにしても、いつも、どんな曲でもきちっとひいてくれるmちゃんの存在の大切さを痛感。
楽しませる目的でやっているのに、結局自分が一番楽しんでいるかも。
今回のことで、ちょっとはピアノも弾けるようになりたいなあと思った私。

今週の初め、この1ヶ月三味線の蓋を開ける気持ちの余裕がなかった私は、体もしんどく、その日一日グタグタして、これはお稽古にいけないなあと、孫に「今日は具合が悪いから、あんた一人で行っておいで」というと、首が痛いから私も休みたいというではないか。てっきり仮病かと思い、こりゃあ、婆ちゃんとしてはいかんなあと思い直し、一緒に行くことに。お稽古せず、見学しようと思って行ったほど、具合は悪かった私。
なのに、成り行きでみんなと一緒にお稽古しているうちに、なんか元気になってきた。これってなんだろう?
気なのか、音の持つパワーなのか、だんだん気が蘇り楽しくなってきたではないか。
そして思った。これって音楽療法かもと。
仮病かと疑った孫は本当に首が痛くて、次の日とうとう首が回らなくなった。ごめん、疑って。

今週3度も音楽ということについて考えさせられた。
楽器にしろ歌にしろ音楽は本当に心を癒す力を持っているなあ。
今のこの索莫とした世の中に生きる我々にとって、とっても大きな力と癒しだなあとあらためて思った。