ガーデンパーティ

親戚に頼まれて中国人学生のホームステイを受け入れたはいいけど、アクシデント続出。
直前にyっちが病気になり、受け入れ困難になりそうになったけど、息子と孫たちが働きまくってどうにか受け入れに間に合った、が、今度は引率者がインフルエンザにかかり、すは新型か?と検査に。しかし、新型ではなく一安心。結局、我が家の狭い庭になんと20人が集まった。
男女2人づつ4人の中国の学生達も、この子供6人、大人10人の集団にびっくりしていた。あとで2人親戚が来宅し、1人庭越しに覗きこみと、核家族の中国人にとって、驚きの人数だったようだ。特に子供が沢山いることに吃驚した様だ。
我が家の孫達は外人とか日本人とか関係なしにすぐ仲良しになれるのだが、昨日は6歳児が中国人の女の子が来たとたん、まるでずっと前からお友達というような感じで、いきなり彼女に抱っこさって、彼女が帰るまでずっとくっついていた。
彼女も可愛くてしょうがないというように、2人は言葉も通じないのに仲良しこよしだった。
この6歳児はとっても不思議な子で、会った人たちが共通して、”癒される”と言う。
私も毎朝、学校に行く前の彼女にハグしてもらうと、心がホンワカとする。人には夫々役割があるけれど、この子は、存在自体が癒しの不思議な子だ。
先日、ある人から「この子は精霊とお話しできるのね」と言われたとか。2年前2階から落下して、急所を数ミリ外れて命が助かった時、助けられた、何かに守られたと咄嗟に思った。生まれた時の名前もまた癒しの名前をつけられた。
そう考えると我が家でとっても大変な時、まだ3歳だった彼女が、私と一緒に大泣きしたことがあった。洗面所にこもってもう一人の孫の悲しみを3人で分かち合って1時間も号泣したことがあったっけ。あれも今考えると、とっても不思議だった。赤ん坊だったとき、この子の笑顔をみているだけで癒されるなあと思っていたら、いろんな人にそういわれるのよねとyっちも言っていたっけ。
 
この数週間ちと忙しかったなあ。ここらでちょっと一休みしないとなあと思っていたら、きたきた、危険信号が。というわけで、若いお友達からのホットヨガのお誘いも断って、今日はノンビリ。
行かなければならない所も、明日に伸ばして、連れ合いの昼は外食にするか?の誘いも断って、まだ外に一歩も出ていない。
今夜は交流パーティとかでみんなおでかけ、ご飯支度も連れ合いと2人分だけ。
昨夜、連れ合いが「今日はご苦労さん。大変だったね。ゆっくり休んでね」と言った。
どんなに大変なときでも、心で思ってくれているのは分かっていたけど、言葉で言われたのは初めてかも。で、かなりびっくりして「いえいえ、お父さんもお疲れ様でした」と答えた。
いやあ、私的には、まあるくなって、優しさを照れずに表現出来る連れ合いにちょっと感動しておりますです。
人は変わるのだ!ま、お互いですが。
私自身も、とっても心地よく生活できるようになって、人生で今が一番幸せと毎日感じながら過ごしているから「なんて幸せなんだろうねえ。お父さんありがとうね」なんてすんなり言っちゃってるから、連れ合いも鎧を脱いで本当の優しさを表現出来るようになったのかも。じゃあ、今まであんなにコチコチだったってことは、私かい?原因は?
年を重ねるのもなかなかいいもんです。

先週、高野山に行ってきました。
何をしに?って世界遺産北条政子が建立したという多宝塔の前で三味線を弾かせてもらいに。
そして、空海が開いたお寺で、奉納三味線。
なんというのか、仏前で三味線の音が響き、こちらにまた返ってきて、あれが感動というのでしょうか。魂が喜んでいたのでしょうか、涙が止まらなくなりました。
師匠の独奏は凄まじいばかりの、迫力で、あの音は、今までで一番感動した音だった。なんて幸せ!ここにいる幸せをしみじみ感じた瞬間だった。
奏でられる音は一瞬だけれど、永遠でもあるのだなあと魂が感動した得がたい和歌山高野山の旅でした。