友達

どうしているかしらとしばらく振りに、学生時代からの友人に電話をかけた。同じ市内にいるのに、なかなか会えずにいたけれど、いつも、元気かなと気にはしていた。
仲良し5人組で1年に1度は会っていたのに、ここ数年は2年に1度くらいになり、しかも、お互いに連絡もし合わない。でも、会えば昔に戻り楽しくおしゃべりして、ああ、やっぱり友達はいいなあと思う。私はそれでも充分友達だと思ってきたけれど、電話に出た彼女は、「こんなに連絡もせず、会いもせずこんなの友達っていうんだろうか・・」と言った。
まるで女学生のような事いうではないかと思ったけど、そう思ったら自分から連絡すればいいのになあとも思った。いつも会うのが友達って訳でもないだろうに。一緒に昼ご飯でもどう?と誘おうと電話したのだけれど、「私も結構忙しい」というので、じゃあ、そのうちにね、といって電話を切った。
私のとても仲良しの友達は、遠い外国に住んでいるし、島根、瀬戸内、福井、岡山などにいる友達ともめったに会わない。
島根の友達などは、卒業以来一度も会ってはいない。でも、確かに友達だ。
しょっちゅう会っている友達も、会わずにいる友達も同じ友達と思っている私は、彼女の友達不信にちょっと戸惑った。
もうすぐ彼女の誕生日だから、葉書でも出してみよう。


気持ちが合わないというか、息が合わないと言うか、調和できないと言う事がこんなにもひどい音をだすのだなあと感じた三味の音。
つい先日、日本一のタイトルをとった同じグループとも思えない演奏。何が原因なのかなあと考えていた。
自分の未熟さも原因のひとつ、一人で練習していて、あまりの下手さに戸惑うほど。練習不足、気合のなさ、その他諸々。日曜日、旭川での道内の三味線仲間140人あまりが集まっての会での演奏。「ひどい!」の師匠の一言。
熟練者から初心者まで、技量は様々なれど、このばらばらは、技量云々ではないという師匠の言葉をどう受け止めて解決したらよいのか、おそらく仲間の殆どはわからないかもしれない。どうやったら、弾き手の気持ちを一つにできるのだろうか、これはかなり手ごわいぞ。
また、新たなものに向かって今日から練習だ。仏様の前で弾かせて戴く幸せをかみ締めながら私なりに頑張ろう!っと。


先日会った変なおじさん、正直言ってなんの感動も無かったんだよね、あの出会いに。
私はお金が嫌いではないし、あれば有りがたいけど、あんまりあっても使い道に困るし、今で充分満足ってとこあるから、いえ、別にお金ザクザクでなくてもいいんです。このままでもいいんですけどと思いながらも、ま、いいかと財布にパワーとかいれてもらったけど。
こんな世の中で、大金持ちになってそれが何?と思っている私がいる。そんなんじゃなく、何か違うものに、出会えるのかもとちょっと顔を出したけど、mさんのお昼ご飯を用意してくださっていた事の方に感動してしまった。しかも、手作りの優しい味のホッコリするようなお弁当。家に帰って残りのお弁当を食べながら、今日の収穫はこの優しいおべんとうだったなあと思った。あのおじさんにあんまり愛を感じなかったなあ。本当に変なおじさんだったなあ。
あの出会いの後に行った老健施設のお年より達の方が、私にはほっとするような暖かさを感じたなあ。
私は今とても幸せで、毎日空を見ては、太陽や雲に癒されている。これって、会話じゃないけど、ああ、幸せ幸せと思うだけだけど、今の私は充分満足している。あのおじさんみたいに、太陽とはなしてきて、色んな事が分かってという人も否定はしないし、それはそれでいいんじゃないかと思うけど、でも、今現在の私は毎日、空を見上げるだけで充分幸せなんだよね。
あれから数日たって、この狭い庭と隣の家の屋根の上に広がる空を見上げながら、これから自分がどんなふうになっていくのかなんて全くわからないけど、それもいいんじゃないか、分かる時がきたら行動するだけさと思ってまた空を見る。