田舎暮らし

連れ合いと私のスケジュールがまるっきり空いた先週、それ−っと有珠のおうちに出かけた。
本当は自分の誕生日を有珠で過ごしたかったけど、誕生祝をやってくれるというので、素直に従った。
私を入れて10人の家族が全員集まり、沢山のチカを夫からプレゼントされ、孫達にお祝いされ、それはまた幸せなひと時だった。1年生の孫が「t(自分の父親)を生んでくれて、ありがとう」というたどたどしい手紙を書いてくれた。
孫にそんな風に思われる幸せ、そして、何より新しい家族と共に、こんな日を迎えられる幸せにしみじみとしたった。
そして、有珠での田舎暮らし。
本数冊、便箋、三味線等々暇つぶしにしようと持って行ったけれど、する閑がない程田舎の暮らしは、忙しい。
朝、小鳥達のさえずりで目覚め、有珠山と向かいの小山の木々に挨拶をし、テラスでコーヒーを呑みながら静かに自然に身をまかすという朝のひと時は、至福のとき。聞こえるのは、汽車の音と小鳥達の声のみ。
ああ、なんていいんだろう!連れ合いと二人で何度も言ってしまうほど。
近所から戴いた、獲れたての野菜たちの朝食、やってもやってもきりがない程の雑草とり。花を植え、種をまき、荒れ放題の畑がどんどんきれいになっていく。
連れ合いが雑草を目の仇みたいにするのも、ただ単に隣の畑の婆ちゃんに悪いからと言う理由だけではなく、農家の息子として育った彼にとって、雑草は生きていく糧の農作物には邪魔ものでしかなかったのだと思い至った。なんて可愛いお花と、愛でている私の前に、そんなものと、刈り取ってしまう連れ合いとの相容れないものが、今回、畑の雑草を懸命に抜いている連れ合いをみていて「ああ、そうなんだ」と、どこかで理解できた。よしとしよう。そう思ったら、雑草を引っこ抜いて、「ああ、きれいになった」と喜ぶ彼に「うん、きれいになったね」と素直に言える私になった。
隣の畑の婆ちゃん、去年爺ちゃんが亡くなったので、なんとも寂しそうで用事もないのに「ねえ、婆ちゃん・・・」と話しかけたことから意外な展開に。
「爺ちゃんどこの駅にいたの?」私の好奇心からきいたことから、なんとラッキーママの父さんと、爺ちゃんが幼馴染の仲良しだった事が判明。いやあ、これには婆ちゃんも私もかなり興奮した。ここに来て11年、今迄何度も顔を合わせていたのに、11年たって、しかも2人とも亡くなった今そんな事実が判明したなんて。
世間は狭いとかそう言う事ではなく、なんだか不思議なめぐり合わせ。
翌日、婆ちゃんが涙ながらに言った。爺ちゃんの仏さんの前で、爺ちゃんや、生きててこの事を知っていたら、さぞかし喜んだよねえ。なんていう縁なんだろうねえ。爺ちゃんがそこら辺にいて、知らせてくれたのかい?と話したんだよと。そして
2人で泣いた。「あんた、子供がいくらいいたって、夫婦に勝るものはないよ。爺ちゃんがいないと、畑をするのも、何もかもが空しいよ」
婆ちゃんの空しさ、悲しさが胸を打った。「婆ちゃん、畑をやれる丈夫な体があるのは、幸せだよ。きっと、爺ちゃん、そこいらへんで、婆ちゃんのことみているよ」11年もたって、婆ちゃんと私は友達になれた。
 
5日間、毎日働き、そして遊んだ。
洞爺湖に2回もゴムボートを出し、湖と遊んだ。毎晩違う温泉に浸かり、ラジオやdvdを観たり、有珠湾に落ちる夕日に感嘆したり、まき小屋から顔を出したイタチに対面したり、音響効果抜群の家で、誰に気兼ねもなく三味線弾きまくったり、ラッキーママが届けてくれた誕生祝の花束の可愛さにため息ついたり、充実した短い田舎暮らしだった。