人の感情

ある人とある人が、本当は10年前に会って、きちんと挨拶を交わさなければならなかったとしよう。
しかし、その機会を片一方の拒否で実現せぬまま、10年たったとしよう。
とある場所でその2人が会い、人を介して紹介されたとしよう。片一方は常識的といおうか、万感の気持ちを込めて挨拶したとしよう。そして、もう片一方は、笑顔ながらもつっけんどんに「あ、どうも」とだけ言ったとしよう。そして、対面は終わったとしよう。それを客観的に見ていた人が、声をだしただけいいんじゃない、といったとしよう。
「うーん、ま、忘れよう」と片一方は後に言い、片一方は別に悪気が有るわけでもないので、なにも感想はなく、時はたっていく、としよう。付き合わなくてもいいのだから、楽ではないかとある人が言ったとしよう。
ま、そういう事も人生には、ままあると言う事。
其々の人の感情はいかんともしがたく、あるがままを、淡々と受け入れればいいだけの事。
いくら年を重ねても、経験を重ねても、ご縁のない者同士というのは、そんなもんでいいのかいなという学びかも。あれこれ余計な思惑は必要ないのだ。としよう。
ま、人生色々。

先週の日曜日だっけ、あまりの良いお天気に、ふとお空を見上げた私の目に飛び込んできたのは、お日様のまわりをぐるりと廻った虹。な、なんと、有り得ないようなこの光景!
まあるい虹、しかも、くっきりと円を描いて輝いている。
サングラスをかけて、とっくり虹を見る。連れ合いは、「おう」とだけ。yっちは「あら、きれい」とだけ。孫にサングラスをかけさせ、とっくりと見せるも「すごい」とだけ。どうも、感動の度合いが少ない人たちに満足しない私は、あちこちにメールしまくった。「見よ、太陽を」と。観察力のない人は「太陽が何か?」だと。
うーん、教えた私がアホダッタ。
虹を見られる人は、「それでいいんだよー」という天からのお知らせと聞いた事がある。
では、このまあるい虹って「あんた、最高!」って天がいってる?んか?なんて思いながら、太陽さんに手をかざして、虹の中にすっぽり入ってみた。約2時間、私は子供のように虹と遊んだ。
至福の時間だった。