筋金入りボケ

1ヶ月ぶりの歌のボランティアで、最初の「雨雨降れ降れ母さんがー」の替え歌でなんだかズッコケタ。
「ごめんね、連休疲れでボケちゃって・・・」と言ったらすかさず仲間が耳元で「ボケなんて言っちゃあダメ」と。あ、そうか、ここは老健施設、迂闊にそんな言葉使っちゃあダメなんだよね。
いつも連れ合いに「お前、ボケたなあ」「このボケ」とか「可愛そうに、ぼけちゃって」とか日常的に言われ、しかも珍しい白色の花のボケの木を「a−の木」と名づけた友もいたりして、「ボケ」と言う言葉はユーモア的に使ってるので、そんなのりだったけど、やっぱ場所を選ばなければねえと反省した次第。
ボケというのは、今流行の痴呆症とはちょっとニュアンスが違うような気がする。
例えばボオーッとしてるとか、オッチョコチョイとか、抜けてるとかそんな意味合いかな。
私はよく「天然ボケ」と家族に言われる。そう、生まれたときからの生粋の天然ボケと自他共に認めている。元を辿れば私の実の父親が、これまた筋金入りの天然ボケだった。
彼の生前、その数々の逸話に笑い転げ、抱腹絶倒、死ぬかと思う位、呼吸困難になるくらいのおかしい人だった。
しかも、真面目な顔でというか、本人はいささかも不真面目ではない所が、これまたおかしくて、今の漫才屋さん顔負けのおかしな人だった。きっと、もっと前の先祖にもそういう人がいたのかもしれない。それを、たまさか私が受け継いだらしい。
でも、私のボケは、まだまだ筋金まではいっていない。これから修行を重ね、筋金入りにしよう・・あれ?そう言う事じゃあないか? 
ボケの木に私の名前をつけたラッキーママがyっちに言った。「こんなおかしい(面白い?)人と一緒にいたら大変ねえ」という様な事を。彼女の返事が良かった。「慣れてるから家族はだれも笑わない」と。そうなのです。毎日の事なので、家族の反応はすこぶる鈍いのです。しかし、最近連れ合いがちとおかしい。私のボケが乗り移ったか、長年連れ添っているので感化されたか、ちょっとお株を奪われている気配が。時々、ボケ同士が火花を散らし、涙が出るほど笑い転げて、そんな時、ああ、私と一緒に暮らすこの人は、なんて幸せで楽しい人生なのだろうと思ったりして。だけど、親友のmちゃんが「ねえ、sさん、aちゃんと一緒にいたら、毎日、面白くて退屈しないでしょう?」と連れ合いに言ったら「ウン、確かに退屈はしないね」
はい、おあとがよろしいようで。