ボルネオ 2

ボルネオ島は世界で3番目に大きな島で、マレーシア、インドネシアブルネイの3つの国がある島。
今回訪れたコタキナバルは、キナバル公園という世界遺産のある場所と、行って初めてわかった事。
富士山より高いキナバル山のある所まで3時間。朝早く出発したお陰で、霧でめったに全貌が見られないキナバル山が、その雄姿を現した時は、大感動。
ああ、おじさんもこの山を眺めていたんだなあと胸が熱くなる。
そう、私は生後9ヶ月で産みの親からはなれ、実の父親の姪夫婦に貰われたので、実の父親の事を今迄1度も父と思ったことも、父さんと呼んだこともなく、私の中ではいつも親戚の「おじさん」だった。
それが、今回思いも寄らずそのおじさんが、かって青春を謳歌したその土地に行って、何故か私の中で、おじさんから父親に変わっていって、血の繋がりを感じてしまった。
これは私の中で思っても見ないことだったかも。
多分、ボルネオに行かなかったら、私の中の、父を思う気持ちは封印されたままだったかもしれない。
おじが、かっての自分の旅を『放浪記」として残していなかったら、そして、その書いたものを、おじの一周忌前日に、ひとつのものにまとめて、法事にきた親戚に配ると言う事を私がしていなかったら、今回のボルネオ行きには結びつかなかったかもしれない。
そう考えると、3人兄姉の末子の私があそこに行ったことは、おじさんが私に見て欲しい、行って欲しいとあちらから導いてくれたのではないか、とまあ、そんな気がするってわけ。
ジャングルの中、流れる川を船で進んだ時、おじさんが大喜びしているような気がして、何故か涙が溢れてきた。
70年の時を経て、確かに私の中に、おじさんが喜びに満ちてこの国、この景色、この国の人々との生活をしていた記憶が遺伝子のなかに伝えられているような、そんな気がする。
見るもの聞くものすべてが、懐かしくて興味深くて、私ってなんて幸せ者なのだろうとずっと思っていた。
ジャングルの木に止まるテングザルもメコンざるも、カニクイザルも、川の中に姿を見せずとも気配をはっきり感じる無数の鰐たちも、高床式の家々も、小さな宝石のような無数の蛍たちも、海に沈む太陽も、紫色に染まる空も、キナバル山の原住民のおばあさんも、この3日間の見たこと聞いたことすべてが私にとっては、ふるさとに帰ったような嬉しく、懐かしく、そして切ないような、そんな日々だった。