家の中から広がる世界

以前、息子のやっていたアジアンショップを無償で手伝っていた時、あの狭い店にいる私のところに、実に様々の方達があちらの方からやってきてくれて、沢山のご縁に恵まれました。波長の合う方とは、何時間も話し込み、楽しい話、びっくりする様な不思議な話、涙無くしては聞けない話などなどテンコ盛で、息子が病気で色々つらい事の多い中で、実に沢山の方との時間を過ごしました。
私がひとっ所にいるのに、あちらから色々な縁がやってくるのは、とっても不思議な体験でした。
そして今、私はこの家にいて、また色々な方が様々なご縁を運んでやってきてくれるのは、居乍らにして宇宙と繋がっている感じがします。
しかも、いらした方は皆さん、飛び切りの笑顔と喜びを置いていってくれるのです。
なんて有りがたいことかとつくづく思います。
ラッキーママとのコンビも7年、この美人コンビ(エッ、違うって?)巷では凸凹コンビなど言う方もおられますが、ま、このコンビがまた、実に絶妙なバランスで、前世で漫才コンビでもしてたんじゃあないかい、というくらいなのであります。
お互いに、いいたい事言い合って、涙流して笑って、本当に毎回楽しくて、これだから止められないよなあと思っちゃってます。
私のこの10年間の様々な苦労を全部知っている彼女が、「長い間、お疲れ様」などと優しい言葉をかけてくれたら、もういけません。
堪えていた涙がどっとこぼれ、声が詰まりました。
私の人生でこの10年は、まっこと、波乱にとんだ10年でした。
何度も打ちのめされるような悲しい思いをしましたが、今、すべてが喜びに繋がっているのをかんじます。
この沢山の興った事が、すべて私に必要なことだった、なんて有りがたいことだったかと、感謝でいっぱいになります。
泣いて泣いて起き上がれなくなっても、時間がたてば涙もかわくし、煮えくり返るような思いも、時と共に浄化されるし、「どんなに厳しい夜でも、必ず朝はくる」と実感できます。
今こぼれる涙も、私がまた一段登る為の、自分の浄化の為の涙のような気がするので、泣きたいだけ泣けばいいさと、どこか客観的に自分を見つめています。
人様の苦しみが少しでもわかるようになれたのは、自分が、のた打ち回るような苦しみを体験したからだと、今、はっきりわかります。
これからの私に興る事は、もういいことのみと信じて疑いません。
占いもおみくじもみーんな、「こらからは上昇あるのみ」だもんね。やったー!