絵本そして親友

アメリカに住む親友mちゃんから小包が送られてきた。中には出版されたばかりの絵本が。
なんとmちゃんが英訳した「チ-コのくれた宝もの」というなんとも優しいタッチの絵本。
中を開くと「半世紀以上にもわたる友情に感謝して」とある。
嬉しさがこみ上げてきた。
mちゃんの名前が輝いてみえた。
私たちは小学1年生からの大親友。全く違う環境で生きてきたのに、何年会わずとも、心が通うと言うか、波長が同じというか、価値観が同じというか、とにかく会った瞬間小学生だった遥か昔と同じようになる。
そのmちゃんの英訳した絵本、アメリカの子供達にも読みやすいように訳したその絵本が、今私の手元にある。
本当に嬉しい。何らかの形で世に出るとは思っていたけど、この優しい絵本から、mちゃんが次のステップに進むだろうと言う予感がある。
お友達に喜びをいっぱい貰った一週間だった。

夕べから孫の友達2人と隣の孫が泊まりに来て、まるで修学旅行のように4人が興奮して、11時過ぎまで2階でドタンバタンやっていた。
「オイオイ、大丈夫か」と夫は何度も言ったけど、ま、そのうちに疲れて寝るよ、としたいようにさせておいた。
何がおかしいのか、けたけた笑いっぱなし、しゃべりっぱなしの4人は、なんと朝6時に起きて、又も大騒ぎ。どんなにか楽しいんだろうと、こちらも微笑ましく、嬉しくなる。
よその家に泊まる事は、子供にとってかなり良い刺激になるだろう。時々泊まりに来る子供達をみていると、自分の家とは全く違う生活や習慣にビックリしているのがよくわかる。
良い悪いは別にして、色んな生活があることを体験するのは、子供にとって、とっても大切な事だと私はかねがね考えている。
今朝も食卓に出した「こあえ」を「何これ?」と食べようとしない子に、「美味しいよー。一口たべてごらん」「あっ、ほんとだ、おいしいー」彼女にとって初めての食べ物。お母さんは山育ちだから、きっとこあえなんて知らないのかもしれないから、よかったね、mちゃん。そして、2人とも食卓は椅子なのだろう、足が痛くて座っていられない。我が家は茶の間兼食堂なので、毎日、きちっと正座してご飯をたべる。子供達もだらしない格好をすると、すぐさまチェックが入るので、結構お行儀が良い。今の子達は、洋式化された家に住んでいるので、仕方がないことかもしれないと思いつつ、日本人のこの習慣を我が家の子供達だけでも、残して伝えていきたい。
例えば、ばっかり喰いとかは、毎日厳しく言われているので、あまりしない我が家の子供たちだが、うちに来てご飯を食べるよその子供達は、結構このばっかり喰いが多く、そのあげく好きな物だけ食べ、嫌いな物は残す。
そこで、婆ちゃんは、すかさずチェック。
結構厳しいこと言ってるのだけれど、嫌われてもいないようだから、これからもどんどん言ってあげようとかんがえている。
先日、泊まりに来た6歳児2人は、家庭環境が寂しく、爺ちゃん、婆ちゃんの存在が新鮮だったらしく、まとわりついてきたので、いっぱい抱っこしてあげた。この2人に、何故かアジアの孤児院の子供達を重ねた。
昨日、「ねえ、ちょっと遊びにこない?」と誘ってくれた友人に、「ごめん、今日孫の友達泊まりにくるから、なんか気ぜわしいのさ」「アー、ただでも忙しいのに、そんな忙しさもあるんだねえ。」と彼女。
これも、孫も喜ぶし、他の子供達もよろこぶし、こんな機会もこれからはあまりないだろうから、私としても大切な時間なのさね。
出たり入ったり、今日一日で我が家の玄関を何回開けたり閉めたりした事か。
でも、私は今日一歩も外に出ていなかった。ま、こんな日もあるさね。