成せばなる

夕べは3月1日の厚沢部での発表会の為の、特別練習日でした。
一応、名取だけの出演なので、それにしてはあまりにも”おぞい”とお師匠さんが判断してのお稽古。
私の与えられた曲はすぐ覚えられる簡単な曲、最初ラッキーと思っていたのですが、なんとなんと簡単なんて思った私が浅はかだったと反省しきり。
やればやるほど、自分の未熟さが現れる奥深い曲。ゆっくりやれば、中国じゃないといわれ、大きな音を出すとやりすぎといわれ、静かに弾くと静かに弾けばいいっていうもんじゃないといわれ、曲間の”ま”がなかなかとれず悪戦苦闘。
師匠の三味線は、なんであの大きな体から、いとも繊細な音をかもし出せるのか、本当にえもいわれぬ優しくも奥深い音を奏でます。
ま、こんなんで手を打ちますかと言う感じで、しぶしぶのオーケ。
こんな長くて単調で退屈そうな曲、覚えられるのかという課題を与えられた若い2人は、つい3日まえまで、つっかえながら弾いて、「大変なのはわかる。仕事が忙しいというのもわかる。でも、覚えてこないというのは問題外だ」と厳しいお言葉を戴きーのの、昨夜。聴くほうもドキドキ。いやあ、流石若い二人。きっちと覚えてきました。
私は思わず拍手してしまいました。えらい!よくやったという感じ。

師匠には当たり前でも、我々にはかなりな難問。しかし、やれば出来る!彼等もおそらくは、この数日どれだけ練習したことか。
いつも、新しい曲に挑戦する度思うこと。やれば出来るのだと。
11年前、じょんがらの楽譜を貰った瞬間、「無理だ。こんな訳も分からない難しそうなものが私に出来るわけがない。」と思った私。まして、その時50歳だったので、この年でこれは無理だわと思ったのです。
所がどうでしょう!「100人以上の生徒さんにじょんがら教えてきたけど、出来なかった人は一人もいなかった。だから、大丈夫だ」という師匠の言葉に単純な私は「へーえ、そうなのか」と師匠に手取り足取り教わる事10ヶ月。楽譜なしで弾けた!
のです。1ヶ月2度のお稽古、しかも、初孫のお産扱いで北見に日帰りで通ったりしながらの、お稽古で。
あの時の、やれば出来るのだという感動を今もはっきり覚えています。年はさほど関係ない、やる気さえあれば大概のことは出来るという大きな学びが出来た事は、三味線に出会って、良き師匠に出会ったからこそ。