思いは叶う

若い友達からのメールに、「思いは絶対に叶います。祈りは誰もが平等に与えられた素晴らしいパワーです」とありました。
たまたま、アメリカに住んでいる親友に手紙を書いていて、そこに、今年したいことを列挙していた私。
ここ数年ずっと思いながらなかなか前に進めなかった事、今年は絶対に叶えたいとかなり強く思っている事が大丈夫!叶う!と後押しされたようで嬉しい!
今週の初めの三味線のお稽古が終わった後のおしゃべりの中で、なんの話からかタイやベトナムのはなしになりました。
タイは1度しか行っていませんが、ベトナムは2度行き、しかもツアーでは体験できない面白い事を沢山してきた私は、久しぶりに人にその体験を話したり、人の体験を聞いたりして、やっぱり私の書いた体験記を形にしたいと改めて思いました。
もう出来上がっている原稿は、何某出版社の何某賞をもらい、面白いので是非出版しましょうと、かなり強烈に薦められたものの、共同出版とはいえ、かなりの金額がかかり、一主婦の私に出せる金額ではなかったのと、息子の「それは出版社の手だから、そんなのにのったらだめ」という一言で出版を断念し今に至っています。もう年数もたったし、出版はむりかも・・とちょっと弱気になってはいましたが、久しぶりのアジアの話でまた、むくむくと眠っていた思いが湧きあがってきていた所へのメール。ベストタイミングではありませんか。ボーっと過ごすのも大好きだけど、あんまりボットし過ぎると、脳みそが腐ってきそうなので、ここらでちょっと活を入れますか。我が脳みそに。

昨日の朝、我が家の庭にキツツキがやってきました。ひとしきり木を渡り歩いて飛んで行きましたが、ヒヨドリは毎日訪れるものの、啄木鳥とはねえ。こんなに身近に啄木鳥を見たのは初めてでした。

一週間に二度は、ある病院に兄のお見舞いに顔を出しています。兄は筋萎縮性側窄硬化症という難病で、かなり進行して胃ろう、(つまり胃に穴をあけてそこから流動食を流し込む)手も足も筋肉が萎縮して全く動かず、動くのは目だけという深刻な状態が続いていて、会話も出きず、ただ一方的に話をして帰ってくるだけのお見舞いなのですが、兄を少しでも元気付けてあげたいという思いだけで通っています。
今までは冗談を言う私に反応して、笑ってくれたのですが、最近は少しずつ反応してくれなくなりました。
治療方法は全くなく、進行にまかせるだけの残酷な病気です。
過去に同じ病名の人を2人知っています。一人は親戚だったので多少の介護にも携わりました。もう一人は、まだ20代の若い娘さんでした。
移動式のお風呂に入れる介護が私の仕事でしたが、初めて彼女に会った時、ショックで体が硬直しました。
事前に、決して涙は見せないようにと言われていたので、堪えるのがたいへんでした。
年若い娘が、体は枯れ枝の様に細く硬直し、しかも九の字に曲がったまま、薬の副作用で顔はムーンフェイス、のどには穴をあけて呼吸器が取り付けられていました。お母さんが一人で在宅介護をして、その姿は何か神々しい感じでした。
お風呂に入るのが唯一の楽しみといって、私たちが行くのを心待ちにしていてくれました。
お風呂に入る時も、そのままでは骨と骨がぶつかって痛いので、発砲スチロールをあちこちにあてて、それはそれは細心の注意を払いながら、心をこめて体を洗わせてもらいました。あの時の色々な体験、お母さんの娘を思う気持ちなど、ああ、人間はその気になれば、こんな困難なことも出来るのだと大きな学びを戴き、それが身内の介護にどれだけ役立ったことか。
だから、今同じ病に苦しむ兄を前にして色々複雑な思いを持っています。
母を在宅で介護していた時、今の兄よりもっと悲惨な状態でした。流動食を鼻に入れることも、タンを取る事もやってみると出来ることでした。できないよと尻込みする妹に、「看護婦さんだって人間だよ、看護婦さんに出来る事が出来ないはずないよ」とハッパをかけたけれど、「お姉ちゃんには出来ても、私にはできない!」と反発されました。
しかし、そんな妹も、段々なれて素晴らしい看護人になりました。特に2人で下の世話をする時には、あうんの呼吸で「なんか私たちってプロみたい」と言うほどになり、ケアーマネージャさんにすごいねえと褒められたりもしました。
思えば夫の母の介護から始まって、何人もの介護をしてきた私は「やってやれない事はない」と体で学んできました。
ですが、今回の兄の場合、兄弟達や身内の色んな思いは形にできず、それもまた仕方のないことなので、誰をも責めたり出来ない事と重々分かってはいますが、せめて最後は家で終わらせてあげたいと、病院に行く度切ない思いで帰ってきます。