自宅出産

自然療法を学ぶうちに、お産も自然であるべきなのだと気づきましたが、自分は時すでに遅く、でもその思いだけはづっともっていました。そして、時が訪れ、お嫁さん2人が3ヶ月違いで妊娠しました。私も何も分からないから、一緒に勉強しようよと助産婦さん探しをはじめました。
電話帳で近場の助産所助産婦さんを探し、最後に残ったアリジュという助産所に電話をしたところ、「今ならいますよ」というので、家を探してアリジュにたどりついたのがmさんとの出会いでした。今思っても何かの導きのような気がします。
自宅で産むとはどういうことなのか、彼女の話しを聞いて「私が求めていたのはこれだ」と直感しました。何も用意しなくても良いということにまず、驚きました。そして、産湯も必要ないということも、知ってはいましたが彼女の口から直にきいて、納得しました。本当に我家で産まれた4人の孫達はみな一様に、ピカピカで生まれてきたので、産湯の必要がありませんでした。赤ちゃんの体に血が一滴もついていませんでした。頭だけがちょっと濡れている程度でした。なんでも無理に出そうとせず、自然に赤ちゃんが出たくなった時を待つとそういう状態になるのだそうです。
私はお産に関して、アメリカの教育が染み付いていたので今思えば情けないほど無知でした。産婦人科医の言う事は絶対だと信じて疑いませんでした。しかし、2人の子供を出産してどうにも合点がいかない事が多々あって、腑に落ちないままそういうものかと封印してきました。しかし、4人の孫の出産にたちあって、自分がいかに理不尽な出産をしたことかと、思い知らされました。
母親が出産するということは、生き方にも通じると今は思います。
知ったからにはこの思いを伝えようと、事あるごとにいろいろなところで、お話しさせてもらいました。私の話しを聞いて出産寸前で自宅出産したお母さんが沢山いて、一様にあの時お話ししてくれてありがとうと感謝されました。多分、私が一人で感動しても伝わらなかった事でした。やはり、知った者として伝えるということの大切さを認識しました。

味噌作るよーといったら、作りたい人がいっぱいで、嬉しい悲鳴を上げています。去年、今春と作った人のコメントを読んでみて、こんなに喜んでもらえるならやっぱり、知ったものとして、この日本伝統の手作り味噌も次の世代にきちんと伝えていこうと思いを新にしました。
7日を皮切りに、20日まで、また、どんな出会いがまっているのかとても楽しみです。