発表会

日曜日、三味線の発表会がありました。この日に向けて数ヶ月の準備、練習もろもろを経ての会でした。誰かが、師匠の三味線にまた惚れ直したと言いましたが、彼の奏でる三味線は聴くものの心を揺さぶるような一種凄みのある芸術というか、職人というか、なんと表現していいかわからないけど、迫力のあるそして繊細な素晴らしい三味の音でした。
リハーサルの時、開幕の合奏がなかなか息が合わず、とうとう師匠は「もういい、こんなざまでお客さんにきいてもらえるのか。やめた、やめた」とご立腹。
成る程、全く合わない合奏。札幌、室蘭、江差、上の国、厚沢部などからきた仲間達とはこの日初めての顔合わせで、しかもなんだかんだとせわしなくろくに言葉も交わす暇もなく舞台に上がって、さあ演奏だもの、仕方ないじゃんって思うのは甘いと師匠はいいたいのだとはおもうけれど、やっぱりちょっと難しいことかも。息、が大事、呼吸を合わせろと師匠は言います。三味線のうまい下手には差があっても仕方がない、だからこそ呼吸をひとつにしなさい、つまり調和と言う事を言っているのですが、これがなかなか通じない、よって師匠は数ヶ月このことを口をすっぱくして言ってきたのに、何故解らないんだと怒り爆発。うーん、人に何かを教えたり伝える事ってたいへんなことだなあとお師匠さんに同情しきり。でも、本番はまあまあだった気がする。
わたしの三味線はといえば、散々なもので仲間に「どうしちゃったの」といわれたけど、自分でもわからない。舞台に上がる寸前、我々の緊張をほぐしてくれようとした師匠のそのまた師匠が、裏歌を歌ってくれて大笑いした後舞台へ。別段あがっているわけでもなかったのに、一番前の席に我が孫連中がずらり、しかも、同居している孫娘が大口開けて熟睡している姿が目に入った。本当にちょっとした心の油断ってこのことかいなと思うほど、ぐっちゃぐっちゃになってしまった。あー、と体制を建て直しかけても、もう遅い、頼りの相棒まで手がとまちゃって、なんとも無様なことでした。楽天家の私メモかなり落ち込みました。
次の日、落ち込みが激しい姿に哀れを感じた我が夫が、「なんだ、失敗したってか。ま、そんなにおちこまなくてもいいさ、忘れれ」といつになく優しいお言葉。
ま、昨夜の2次会で騒ぎすぎたのと、飲みすぎたのとこれまでの疲れがどっと出て口を開く体力も気力もなくなっていた私には天使の言葉のように聞こえました。
忘れるのは得意中の得意だけど、いやなことにdvdという証拠があってみんな買わなければならないのです。あー、私のとこだけざーっと映らなければいいなあと毎日念を送っている私。
お師匠さんが言いました。「mさん、これが終わってもちゃんとお稽古においでよ。いつも、なんかあって終わったら休むんだから」うーん、ま、結果的にはそうだったかもしれないなあ。誰にも私のこの激動の10年は分かってもらえないよなあ、言われても仕方がないなあと思いましたが、三味線を始めてからの10年は2人の親の介護と看取り、6人の孫のお産扱いと孫育て、yっちの喘息とアトピーの手当て、何度も死を意識するような発作、次男の店の手伝い、次男のウツとの戦い、倒産、離婚、孫との別れ、まごの2階からの転落事故、などなど結構壮絶な10年の中での三味線、何度も夫に三味線なんかやってる場合じゃないだろうと言われ、それでも止めずに続けられたのは、仲間達の後押しでした。
大変なことを知って、もう落ち着いたかい、遊びにおいで、と何度も電話をくれたり、話をきいてくれたり、一緒に泣いてくれたり、そんなあったかい仲間達がいたからこそ、細々と続けられたなあと今は感謝でいっぱいです。失敗して恥もかいたし、師匠に迷惑もかけてしまったけれど、沢山の仲間と舞台に立てただけでも幸せな事だなあとつくづく思います。
まだまだやりたい事がいっぱいあって、落ち込む暇がない今日この頃です。